まきまき花巻見たい花巻に残る岩手唯一の和傘 滝田工芸
花巻に残る岩手唯一の和傘 滝田工芸
311 まき
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―継承されて100年以上。花巻傘の文化と歴史

 

和傘

竹でできた骨組みに和紙を張り、表面に油を塗り防水性を持たせたもの。

明治時代に入り洋傘が普及するまで、広く一般的に使われていた。


岩手県では最盛期に120軒以上の傘屋があり、花巻においても50軒以上あった。

それが今では滝田工芸の1軒のみ。東北でも和傘を作っているのは2軒だけ。

さらに、全工程を作ることができるのは滝田信夫さん含め全国でも23人しかいないと言われており、その貴重さが伺える。


今回、花巻の童話村隣で工房を構え、和傘を作り続けて43年、3代目の滝田信夫さんにお話を伺った。

 

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①和傘とは

②花巻傘の歴史

③滝田工芸の歩み

④和傘の制作工程

⑤道具について

⑥材料について

⑦作品紹介

⑧和傘の活用

⑨メンテナンス

⑩製作体験

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①和傘とは

 

滝田工芸のお話の前に、和傘が日本で浸透してから現在まで、歴史の流れを簡単に説明すると、、


古代中国で使われていた天蓋と呼ばれる開閉できない傘が日本に伝わったのが始まりで、それらが時代の変遷とともに変化した。

和紙に油を塗ることで防水性を持たせたり、ろくろと呼ばれる部品を使って開閉できるようにしたりと徐々に改良されていった。


江戸時代には分業制が確立し、広く普及することに。

失業した武士が副職として作ることもあったという。

屋号を和傘に描くことで店の宣伝を行ったり、歌舞伎の小道具としても使われるようになったりと、用途も広がりをみせた。


しかし、明治時代になると洋傘が普及し、和傘が徐々に使われなくなる。

現在では、本来の雨傘としてだけではなく、ランプシェードなどの装飾品として使われることも多い。

▲野点傘…野点(屋外でお茶を点てること)用の傘。人を傷つけないよう爪を折った(傘を開いた骨の先を内側に湾曲した)姿が特徴。内側には魔除けを意味する五色の糸でかがられており、糸によって骨のつながりを強化し、傘全体を支えることによって、骨の破損などの場合に貴人を傷つけることを防いでいる。糸は信夫さんの奥さんが編んでいる。 

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②花巻傘の歴史

 

花巻傘は享和年間(18011803)頃、流浪の熊本武士「千葉左近」が教えたことが始まりだといわれている。

藩政時代士族の内職としてはじまったものが、明治維新後は本職とするようになり、大正8、9年には年間25万本ほどを生産する花巻物産の一つとなった。


花巻では、御田屋町や上町、桜町などにも傘屋があった。

50軒以上あった花巻の傘屋も昭和36年(1961年)に滝田工芸1軒のみに。

岩手県内でも120軒あったのだが、岩手の傘屋の約半分が花巻にあったのは興味深い。

岩手県内でも南部藩と伊達藩で多少異なるところがあったらしい。


県内で唯一残った滝田工芸だが、その理由がまた面白い。

信夫さんの祖父、初代の滝田五郎八さんは、自分の足で沿岸まで行き、注文を集めていた。当時、傘屋は全て問屋に納めていたのだが、時代の流れで問屋が和傘の取り扱いをやめてしまった。全て販売を問屋に任せていた傘屋は総じて辞めざるを得なかった。

一方で、自分の足で注文を集めていた五郎八さんは、問屋がなくなっても販売することができたため継続して傘を作り続けることができた。


時代の流れがあったとしても、工芸を作り続けられるのには何かしらの理由があるのだと思った。

 

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③滝田工芸の歩み

 

滝田信夫さんの祖父、滝田五郎八さんが始めて、信夫さんで3代目となる。

大正元年(1912年)の賞状が残っており、遅くともこの頃には和傘作りを始めていたと考えられる。


2代目である滝田信吉さん。信吉さんは和傘が一番売れた最盛期と全く売れない(ただでも売れない)時期、両方を経験した。

そこで、お土産物などインテリアとして最適なミニ傘や和傘の電気スタンドなど、様々な商品を考え出した。

和傘の折り畳み帽子も開発。オーストラリアにサンプルを1000本以上送ったこともある。結局、人手が足らずそれ以降送ることはなかったが、1000本作る気力も、海外展開していたことも驚きである。

▲実際にオーストラリアに送った和傘の折り畳み帽子

 

初代は自分の足で歩くことで販売先を確保し、2代目は様々な商品の考案によって売れない時期を乗り越えた。


「じいさんの顔見なきゃ頼めないよ」という人もいれば、

展示販売をしている時には「おやじいないのか」と聞かれることも。


作った人のことを信頼して頼むという、工芸ならではの良い関係性だと思った。


そんな父の跡を24歳の時に継いだ信夫さん。

当時別の会社に勤めていたのだが、知人が「滝田さんは今の代で辞めると言っていたから、今のうちに買っておいた方がよいよ」と言っていたのをたまたま聞き、傘づくりを決意。そのまま作り続けて43年となった。


「おやじと一緒にやってた時には、やりながらちらちら自分の仕事を見られる。それが本当に嫌でねえ。それもあって早く一人前になりたいという思いがあった」という信夫さん。代々同じ場所で作る工芸ならではのリアルなお話しだった。

 

信夫さんは和傘の全工程ができるという点でかなり珍しいのだが(全国でも2.3人)、全工程ができるようになったのは必然だという。

昔から和傘は分業制をとっていたところが多い。男性が骨組みを作り、女性が組み立てて和紙を張ることが多かった。

滝田工芸でも父、母とともに3人で傘を作っていたが、母が体を壊し、信夫さんが組み立てや和紙を張る工程なども担当するように。そして和傘の全工程をマスターしたのである。


祖父からも父からも継いでほしいという話は一度もされたことがなかった。
だが、「今も続けている(信夫さんの)様子を、空の上で見てくれている」と信夫さんは語る。


現在では年間100本ほどを制作している。

▲大正元年に初代滝田五郎八さんが受けた賞状

 

 

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④和傘の制作工程

 

工程は細かく分けると70回以上の工程がある。

大まかな工程は、竹切り骨削り骨合わせ紙張り仕上げ油引き乾燥。

均等に割った竹を組み立て骨組みを作り、紙を貼り付け、最後に油を引くことで完成。あとは天日干しさせれば良い。


具体的な工程を一つ紹介。

なたで竹を均等に叩き割り、それらをそのままもう一度組み立てることで均等な骨組みができる。それらを元の通りに組み立てるには印が必要なため、竹の一部分に傷を付けてその傷を目安に骨を組み立てる。

このような細かい工程を合わせると70以上になるのである。


全工程をやっていたら、一人で調整できるのが利点だという。

 

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⑤道具について

 

何個か道具を見せていただいたので、紹介する。


カンナ…竹の曲線に合わせたカーブが付いている特殊なカンナである。

キリ…穴をあける道具。今はモーターの機械で開けているため使うことはない。

鉈(なた)…竹を割るもの。折れた刀をもとに作った。何十年も使っている。

▲カンナ/キリ/鉈

 

 

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⑥材料について

 

和傘の材料は主に竹/和紙/柿渋(糊)/漆(カシュー)/油である。

全て自然のもので作ることができる。


骨組みとなる竹は、宮城県から仕入れたもの。真竹を使っている。


和紙和紙は岐阜の美濃和紙や栃木の烏山和紙、そして花巻市東和町の成島和紙を使っている。


【成島和紙の記事はこちら】
https://makimaki-hanamaki.com/6033


和紙は、手すき和紙を使う。機械漉きだと縦の繊維だけで、横の繊維の方向がなくなる。一方で手漉きの場合、上下左右に振るため、繊維が各方向に交じり合うことで丈夫になる。

使う和紙の厚さも決まっており、成島和紙の場合6匁から7匁を使う。値段的に納得してもらえる人は、それだけ良い和紙を使える。


糊(のり)滝田工芸では柿渋ではなく、糊と柿渋を混ぜて作った自家製の糊を使っている。柿渋は水に対して強い。頭ろくろの部分に塗ることで耐久性を上げる。柿渋は工房裏の豆柿から採ったもの。


カシュー…カシュー・ナッツの実の殻から作られる合成樹脂塗料。傘の骨組みの表面には、コーティングのため漆やカシューを塗る。滝田工芸ではカシューを使っている。これを塗ることで強度が上がるのに加え、装飾に意味合いも込めている。


防水材として油を使う。滝田工芸では亜麻仁油を使っている。

▲ろくろと呼ばれる傘の開閉の役割を担う部品。ろくろ職人は全国でも岐阜の1人だけだったが、後継者育成の流れもあるそう。まとめて吊り下げて管理している。

 

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⑦作品紹介

 

滝田工芸では、蛇の目傘や番傘に加え、お土産に丁度良いミニ傘や壁掛け傘なども制作している。


番傘

蛇の目傘と比べ番傘の方が太く重いため、主に男性用。

宿泊施設などのまちのお店の前に貸し出し用として置いてあり、そこに必ず屋号と番号が書かれていたため番傘と呼ばれるようになった。

滝田工芸の和傘は実際に温泉でも使われており、屋号と番号が書かれている。

▲修理予定の番傘。実際に温泉街で使われているもの。


 蛇の目傘

 

番傘と比べ蛇の目傘の方が細く軽いため、主に女性用。

蛇の目傘とは、傘の真ん中の白い円が蛇の目に見えることから名付けられた。

▲外側と内側で色の出方が異なる。光を通すとその違いがわかる。この色の違いも和傘の楽しみの一つ。内側の綺麗な飾り糸も蛇の目傘の特徴。

 


ミニ傘/壁掛け傘

ミニ傘や壁掛け傘はお土産としても最適な作品。

2代目の信吉さんが考案したもの。

サイズ感がかわいく、思わず一つ欲しくなる。

▲(上)ミニ傘(下)壁掛け傘

 


電気スタンド

電気スタンドも2代目の信吉さんが考案したもの。

とあるホテルの各部屋にこの電気スタンドが置いてあるとか。

土台は欅(ケヤキ)の木。木を削って成形してくれる方が年齢的なこともあり制作できないため、現在は作っていない。

 

 

コラボ作品

その他、特別に見せていただいた作品も紹介したい。

滝田さんの傘に絵師、河口邦夫さんが描いた作品(笑門来福の字は滝田さん)。

 

続いて、滝田さんの傘に山田みゆきさんのシルエットアートをのせた作品。

これでも美しいのに光に照らすとカラーフィルムが反応し、色が出る仕組み。色の組み合わせがとても繊細で上品な作品。美しすぎる。

 

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⑧和傘の活用

 

旅館では、滝田工芸の和傘に照明を当てることでライトアップを行っているところも。

美しく照らされた和傘が庭に並んでいる光景は圧巻。

▲昼の様子

▲夜の様子


1年毎に1本買いに来てくれる方もいる。

傘は雨が降ったら使うもの。もったいないと使わずに仕舞っておいたり飾っていたりする方も多いが、雨が降ったら使ってほしいという信夫さん。


そんな和傘で素敵なエピソードが一つある。

とある雨の日。女性がふらっと入ってきて、「傘を一つ下さい」と言った。

「箱に入れますから待ってください」と言うと、「大丈夫です」と言い、そのまま歩いて去っていった。

その場で買って、その場で使ってくれたのは初めての経験だったという信夫さん。

とても粋な女性の話だった。


大切にしたいという思いからなかなか使えない気持ちもわかるが、使うからこその和傘。

自分が買えるようになったらしっかり使おうと思う。

▲工房内。天井が大きな和傘をモチーフにしたものとなっている。工房を建ててくれた東和の大工さんが俺のサービスだ、と言って天井に大胆な和傘をつけてくれた。自然光を通す仕組み。これまた粋な大工さんだ。

 

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⑨メンテナンス

 

和傘のメンテナンスは洋傘と少し異なる。

頭を上に、持ち手を下にして完全に乾かしたら、頭についた革紐でひっかけておく。

洋傘のように持ち手を上にしてしまうと、水が溜まり、傘が傷みやすくなる。


和紙は年々劣化してもろくなる。経年劣化は避けられないが、使い方によっては510年はもつ。

しまっておいても使っても状態はほとんど変わらないため、使えるのであれば使うと良い。


むしろ和傘で一番良くないのは、しまっておくこと。

ずっと傘を閉じたままにするとくっついてしまい開かなくなることもあるんだそう。

▲頭の皮紐。

 

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⑩製作体験

 

滝田工芸では、製作体験も行っている。

基本的にはグループでの対応だが、今まで色々な方々を受け入れたという。


滝田さんが作ったミニ傘の骨組みに、和紙に自由に絵を描き、張り付けて完成となる。

体験する方々がいろんな表現をするため、見ていても面白いという。

 

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「ぜひふらっと立ち寄ってみて」と言う滝田信夫さん。

滝田工芸では販売もしているので、ぜひ一度訪れてみてほしい。

私が書きました
今野陽介

花巻市地域おこし協力隊。
花巻の工芸品、民芸品が好き。
2019年10月から花巻に住んでます。