まきまき花巻見たい朱孝彩窯 油滴天目を求めて
朱孝彩窯 油滴天目を求めて
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“油滴天目”

お茶の世界で扱われる茶碗「天目(てんもく)*1」に鉄を主成分とした鉱物が結晶化した斑文「油滴(ゆてき)*2」が現れたもの。

油の滴のように見えることから名付けられたとされる「油滴」は、偶然の産物と言われているほど出すのにさまざまな条件を必要とします。

700年以上前の南宋時代、中国・建窯で作られた油滴天目は日本に渡り、大阪市立東洋陶磁美術館をはじめとした美術館等に所蔵されているものは国宝・重要文化財に指定されています。

*1抹茶喫茶用の陶器製の容器のこと。日本からの留学僧らが茶の産地として知られる中国浙江省の天目山で使われていた容器を持ち帰ったことから定着したと言われています。

*1*2参考:矢部良明『角川日本陶磁大事典』角川書店(2002)

この油滴天目に惹かれ、花巻で再現している方がいます。2000年から作陶を始め、2004年に「朱孝彩窯(しゅこうさいがま)」を構えた野田孝順さんです。

今回は野田さんに油滴天目の魅力、生み出すまでの道のりを伺いました。

油滴天目の再現

2000年に台焼の杉村峰秀氏に師事して制作を始めた野田さん。奥様のリハビリとして始めてもらい、次第に野田さん自身も作るようになっていきます。

その後も制作を続けた野田さんは、2004年に「朱孝彩窯」を築窯。本格的に作陶を始めます。雪道の冬場、奥様が家の中でも制作できるようにという配慮からでした。

「朱孝彩窯」という名前には、色だけでなくさまざまな陶芸の「彩」を表現しようという思いが込められています。

野田さんの奥様の作品(岩手県芸術祭工芸部門入選)。手の甲を使って制作。薪の窯で焼成し、灰がかかっている様子が伺えます。

野田さん自身もさまざまな作品を制作していますが、特に入れ込むのが「油滴天目」。「国宝 油滴天目茶碗」をMOA美術館で一目見てから、これを再現したいと思い立ちます。

油の滴(しずく)のように見えることから油滴と呼ばれる結晶は、焼成時間・焼成温度・釉薬の成分の調整など、さまざまな条件が重なってようやく現れると言います。

野田さんは10年以上試行錯誤を重ね、ようやく鮮明な油滴の表出に成功しました。

野田孝順「油滴天目茶碗」。綺麗な油滴が茶碗一面に広がっています。

油滴の大きさはその時々でさまざまです。

何十回にもわたる焼成を行い、結晶の大きく出る温度帯を割り出すことで油滴が出る条件を発見しました。とにかく試せる手法はいくつも試したと言います。

全ての焼成データを記録。時間ごとの温度が記載されています。

「これがなかなか出なくてさあ」「(成功した瞬間)感動ですよ、泣きたくなるような」という野田さんから、大変さと、それを試行錯誤で生み出す深い喜びを感じました。

油滴天目について話す野田さん。話を伺うこちらもワクワクします。

多種多様な作品

油滴天目を制作する野田さんは、その他にもさまざまな作品を制作しています。

心地良い重さにするため、作品一つ一つの重さを記録。乾燥工程で軽くなること、施釉(釉薬をかけること)で重くなることも考慮して計測しています。

織部流黒鉄抹茶碗(還元焼成)。鉄赤釉(赤系の釉薬)に織部釉(緑系の釉薬)をさっと垂らすことで独特の色合いが表出します。

禾目(のぎめ)天目茶碗。稲穂の禾のような斑文が特徴。

氷裂結晶湯呑み。氷のような結晶が美しい作品。よく見ると幾重にも結晶が重なっていて奥行きを感じます。

釉薬を付けない焼締めの花入。写真中央にある土の中の赤貝が反応を起こし、独特な金色が出現しています。

滋賀県信楽の赤土で作られた花入(焼成前)。赤土は荒い土で高温にも耐えられるため、大きいものを作るのに向いています。

スケッチをしてから成形に入ります。

ろくろは2台。使う土の種類で分けて使用しています。

ガス窯。釉薬によって焼成方法が異なるため、一度に複数の種類の焼成が難しいそう。窯焚きはとても根気のいる作業です。

野田さんは2006年から美術展に出展。
岩手県芸術祭工芸部門では、2006年から2011年に毎年入選。2007年には工芸部門賞を受賞し、最近では2018年、2020年に岩手県工芸美術展で入選しています。

かいらぎ水指。2007年岩手県工芸美術展入選。釉薬が縮むことで現れるこの模様は、エイやサメの皮(かいらぎ)に似ていることから「かいらぎ」と呼ばれています。

岩手県南の職人・作家と韓国の国民大学校を中心とした作家との合同陶芸展「韓・日交流陶芸展」にも出展しています。香泥庵野立窯の佐藤富男さんが中心となって2005年から始まった展示会です。

焼〆花生。第五回韓・日交流陶芸展出展作品。

受け継がれるモノクロ写真の流儀

野田さんは写真家でもあります。焼物を始める前から写真が好きで、東京で勤めている頃は東京都写真連盟にも所属していました。1974年に花巻に戻り、花巻の写真家内村皓一氏に師事します。

※1 内村皓一(1914-1993)戦争により1942年に中国・奉天に渡り、戦時中の奉天の風景、生活する人々の様子を写真で撮り続けます。終戦後は家業である花巻の印刷業(花巻印刷)を運営しながら撮影を続け、その作品は多くの国際サロンに出品されました。

参考:萬鉄五郎記念美術館

内村皓一「盗女」。野田さんが内村氏から頂いた現像写真。

後ろには数々の国際サロンのサインが記されています。野田さんと内村氏との信頼の証です。

野田さんと内村氏の出会いは病院でした。野田さんが花巻に戻った際、風邪を引き入院。たまたま同じ病棟に内村氏がいました。そこで話すようになり、入院中、間を見ては写真を二人で撮り続けたそうです。

それまではカラー写真を撮っていた野田さんですが、そこでモノクロ写真の魅力に取り憑かれます。当時野田さん28歳、内村氏が56歳でした。

「それで先生(内村氏)のうちに行ったりしてね。なんかの出会いなんだろうねえ」

内村氏が先生をしていた盛岡の写真グループ「皓友会」では、会員で写真を持ち寄っては発表会を行っていました。岩手を渡り歩いて定期的に写真を撮りに出かけていたそうです。

モノクロ写真の魅力は「素朴さ」だと言う野田さん。遠野や早池峰山など、岩手の自然があってこそモノクロ写真が映えると言います。

野田孝順「想い」

野田孝順「晩秋」

野田孝順「牧草」。みていると不思議と色を感じます。

野田さんの写真を拝見すると、内村氏の流儀が受け継がれているのを感じます。フィルムの現像も、液体に浸す時間によって味わいが大きく変わります。それも含めた表現の世界なのです。

状況が落ち着けば、写真と陶器を合わせた個展をやりたいという野田さん。

内村氏から受け継いだ写真、そして試行錯誤を重ね出現に成功した油滴天目茶碗。
一堂に拝見できる日が楽しみです。

私が書きました
今野陽介

花巻市地域おこし協力隊。
花巻の工芸品、民芸品が好き。
2019年10月から花巻に住んでます。