まきまき花巻見たい花巻まつり 風流山車にかける心意気
花巻まつり 風流山車にかける心意気
110 まき
このエントリーをはてなブックマークに追加

400年以上の歴史を誇る花巻まつりは、毎年9月の第2金曜日から3日間行われます。今年は新型コロナウイルス感染対策で中止になりましたが、これは太平洋戦争時以来とのことです。いつもの年なら8月末は間近に迫ったまつりを前に市内あちらこちらに山車小屋が建ち、どこか浮き足立った雰囲気が感じられる時期です。

花巻まつりは120基近く繰り出しギネスにも載った神輿や、花巻囃子の手踊り、神楽権現舞、鹿踊りなど、見ものがたくさんありますが、なんと言っても華は独特の風流山車です。盛岡八幡宮のまつりをはじめとした南部流風流山車とは違い、美しく着飾った女の子たちの小太鼓と、山車の後ろで大人たちが叩く締め太鼓の掛け合いで奏でられる優雅な花巻囃子は、花巻まつりの中心をなす彩りです。

現在は、あさひ組、東町、駅前大通り、上町、里川口、末広町、豊沢町、西大通り、花北地区、花巻市役所、吹張町、若葉町の12団体が参加していますが、かつては鍛治町、双葉町、花城町に、吹張町や駅前大通りは1区、2区の2団体ずつ参加するなど、もっとたくさんの山車が出ていました。商店街の衰退と少子化により参加団体が減ってしまったのは残念なことです。

花巻まつりの風流山車はどの団体も毎年テーマを決めて新たに作られます。いつもならまつりで見るだけなので、その製作過程はベールに包まれているのですが、今回はまつりがないということもあり、例年なら忙しくて話を聞けない、山車製作を担われている方々に作り方について話を聞いてみました。花巻まつりの山車といえば何といっても上町。他団体に出たことがあることのある方々からは、上町山車のステイタスが一番という声を聞いたことがあったので、現在の上町山車製作責任者のお2人に話を聞いてみました。

 

現在の棟梁は岩田晃輔さん(向かって右)。製作責任者は山折顕祐さん(向かって左)。まだ40代前半と若いことに少々驚きました。もっとベテランの棟梁だと思っていたからです。しかし話を聞いてみると、山車作りには小学生の頃から参加されているとのこと。まつり本番では小学校時代も中学生の頃も神輿など担いでいたらしいのですが、制作する準備段階では花巻まつりの風流山車独特の花を作ったり、波を作ったりという手伝いをされてきたとのことでした。そう考えると、長いキャリアになります。

山車作りは5月にその年のテーマを決めるところからスタートするようです。表と、見返しと呼ばれる後ろのそれぞれのテーマが決まったらラフスケッチを起こして全体のデザインを決めます。この時点から(あるいはもっと前から)鎧や小物の製作、足りないもの(例えば人形が着る着物など)の発注を行うとのこと。7月下旬には山車小屋をかけ、地固めと言われる会合があります。いわば決起集会です。お盆前後から9月始めにかけては、山車小屋の中で山車の台車への飾り付けが始まります。馬や建物、人形、岩や波など、それぞれの大きさのバランスや位置を確認しながら、組み上げていきます。建物などは大きさが合わず何度も作り直すことがあるそうです。毎年使い回しの人形は倉庫に顔と手だけがあり、骨組みは木でできているとのこと。前年のポーズから釘やネジを抜き、新たなポーズに合わせて関節を作り、着物を着せます。馬もいくつか在庫があり、その年のテーマに合うものを使うとのことでした。

製作に当たるのは上町商店街の方々のみならず、上町にある北日本銀行、岩手銀行の職員の方々や、上町にお住まいの方の友達、山車作りが好きな他地区の人など、総勢のべ50人ほどが参加するのだそうです。

「まつりが近くなるとだんだん人数が増えていくんですよ」

と山折さんは笑っていました。

山車が組み終わると、これまた花巻まつり風流山車の特徴である灯り用のアセチレンガスのパイプ付けと電気の配線を行います。一番最後は太鼓のセット。まつり2日前ぐらいまで子ども達の太鼓練習があるので、それが終わってからの太鼓設置ですから、完成するのはまつり直前になります。

完成すると「笠揃え(かさぞろえ)」が行われます。これは全国的に江戸時代から使われている言葉で、神様をお参りに行く人がみんな揃いの編笠を準備したことから。現代の花巻まつりでは予行演習のような意味合いで使われる言葉のようです。

本番当日の運行はまた違う方々が担います。総括責任者や運行責任者は町内の方々が持ち回りで務められているとのこと。自分が出ている神輿と掛け持ちで山車の運行を手伝う人たちもいるようです。

まつりが終わると片付けです。翌日からは平日なので夜集まったり、仕事を休んできて昼間片付ける方も。週末にかけてほんの1週間で完全に片付けてしまうのだそうです。

「みんな片付けまでがまつりって感じで、集まってくれます」

と岩田さん。最後は9月末に行われる「かさこし(元々は揃えた傘をみんなで壊す『傘壊し』)」という名の打ち上げが行われて終了です。そう考えると、ほぼ半年にわたってみなさん山車に関わられていることになります。お金も、労力も、時間も、それだけのものを注ぎ込んで作られ。年に3日間だけ運行される風流山車。花巻市民がまつりにかける心意気がわかります。

 

ところで「花巻まつりで山車といえばやはり上町」と書きましたが、どうやら400年の歴史の中で上町の山車はそれほど昔からあったわけでは無さそうです。明治〜大正の頃、花巻の中心は旧花巻町の一日市や四日町、旧川口町の方は奥羽街道の玄関口だった豊沢町だったようですので、上町が中心市街地となり山車が出されはじめたのは昭和の初めぐらいと推測します(電線が張り巡らされる前は、風流山車ではなく、背の高い屋形山車だったそうです)。しかもお2人に聞くと、昔は他所から山車を借りていたと古老から聞いたことがある由。花巻の風流山車の歴史を調べてみるのも面白そうです。取材してみて、来年から各地域の風流山車を見る目が変わる気がしました。

私が書きました
北山 公路

出版プロデュース、企画・編集のフリーランス。
花巻に生まれ育ち、今も花巻在住。東京の出版社の仕事と地元の仕事半々を花巻でこなす。2017年春から「花巻まち散歩マガジン Machicoco」を創刊し、隔月発行継続中。