ホームスパン
それは、羊毛を手で紡ぐことで糸にし、それを用いて手織りしたもの。
スコットランドが本場だが、さまざまな理由から日本、特に岩手で広まった。
HOME(家)SPUN(紡いだ)という文字通り、スコットランドの家庭内で作られていたことが語源。
原毛(羊毛)から手染め/手紡ぎ/手織りで仕上げる柔らかい風合いが特徴的である。
「日本ホームスパン」は東和町でホームスパンを作り続けて55年。
ホームスパンを東和から世界へ、展開していく。
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①ホームスパンができるまで
②岩手とホームスパン
③日本ホームスパンの歩み
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①ホームスパンができるまで
羊から毛を刈り取り、お湯で脂を洗い流し、干す。
染料で染めた後、毛をほぐし、撚(よ)って糸にする。
蒸して撚りを固定。経糸の組み合わせを決め、長さを測るため整経(せいけい)の工程に入る。
綜絖(そうこう)と呼ばれる織機の器具の小さな穴に1本1本経糸を通し、緯糸は杼(ひ)という木製の道具に取り付ける。綜絖を足のペダルで操作し、1回1回杼をくぐらせながら編んでいく。
こうして生地(サンプル)が完成する。
その後、洋裁工場で服やマフラーに仕上げる。
日本ホームスパンでは羊毛を仕入れ、染料で染めるところから、生地(サンプル)を作るところまで。20人ほどで各工程の担当をローテーションしている。
羊毛(原毛)
羊毛の多くは海外からの輸入。
メリノウールやサフォーク、フォークランドなど、さまざまな品種を取り扱う。
品種によって、毛の太さが異なり、柔らかさも異なる。
羊毛は子どもの産毛が品質が良いのだとか。
染め
既に染めた糸を仕入れて使うことが多いが、染料で羊毛を染めることもある。
撚りをかける
染めた羊毛は電動の機械で撚って糸にする。機械のスピードに合わせて、手の動きを調節しながら撚る。
機械のベルトの長さを変えることで撚るスピードを変えることもできるが、慣れていると早いほうがやりやすいという。
人の手で撚ることで空気が入り、柔らかい風合いの糸ができる。
糸
取り扱う糸はウールだけでなくシルクや紙など多種多様。
これらの糸は日本ホームスパン独自のものが多く、織るのにも一工夫必要だが、ここならではの生地ができる所以でもある。
緯糸は杼(シャトル)にはめ、経糸は整経という工程に入る。
整経
大きな歯車に巻き取ることで経糸の長さを測る。
ここで経糸のレイアウトも決める。
綜絖通し
緯糸を杼(シャトル)にセットし、整経で経糸の長さを均一にしたら、経糸を織機の綜絖に1本1本通していく。
ここでようやく織る工程が始まる。
日本ホームスパンでは手織りと機械織りの両方を行っている。
機械織り
機械織りの織機は9台。
一般的な機械織りだと、糸の回転は1秒当たり少なくとも100~500回。早いもの(水を噴射して緯糸を入れるウォータージェット織機)だと1800~2500回も織ることができるそう。
日本ホームスパンの機械織り機は1分当たり60回。
特殊な糸を使うため織りが早いと引っかかりうまく織れない。
そのため、機械を改良させることであえて遅くしているのだが、おかげで手織りのような柔らかい味わいが出る。
伝統に固執することなく、一方でこだわり抜くことでしか到達することができない境地だと思った。
整経する機械や織機など、長年使い続けられるのはなぜか気になり聞いたところ、
これらの機械には電子基板がなく、部品を取り換えたり修繕したりすることでメンテナンスが可能とのこと。昔から使われている機械だからこそ、長く使える。
手織り
手織り機は2台。
サンプルは主にこの手織り機で1日3~4個製作する。年間で700個。
展示会のテーマがあれば、それに沿ったもの。糸やテーマの指定があればそれに沿ってサンプルを作成する。
手織りでサンプルを作り、形になったら機械織りで数に対応する。かといって品質にはこだわり、スピードを落としてでも良い生地を作る。ものづくりの現代の在り方を考えさせられた。
販売
完成した生地はデザイナーズブランドとの取引がほとんど。
商品は盛岡の直営店のほか、オンラインストアでも購入できる。
(記事最下部に情報があります。)
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②岩手とホームスパン
ここからは、岩手とホームスパンの歴史を紐解いていく。
二戸郡福岡村(現二戸市)にいたスコットランドの宣教師が伝えたこと。それが岩手でのホームスパンの始まりとされている。
お話を伺うと明治、大正、昭和と時代の流れに沿ってさまざまな契機があったことがわかった。
明治
日本で羊毛が生産される背景として戦争が大きな要因の一つ。
日清戦争や日露戦争の軍服としてウールの必要性が高まったわけだが、日露戦争では大きなきっかけとなった会戦がある。それが奉天会戦。
2月~3月に起こったこの会戦。気温は-20~30度。
終戦後の調査で、日本軍の死傷者の20-30%の原因が凍傷であるのに対し、ロシア軍は凍傷での死亡が全体の1%だと判明。
ロシア人はウール製の軍服を着ていたが、日本人は綿製の軍服を着ていたためと考えられ、ここでもウールの生産の必要性が高まるきっかけとなった。
また、産業革命の中で、警察/郵便/消防など今でいう公務員の整備と、それに伴う制服が必要となった。その制服の材料としてもウールの需要が高まることとなる。
そこで国は羊毛を海外から買い付けようとするが、必要量を買うと当時の国家予算の4割ほどになると判明。買えないのであれば作るしかない、と羊を日本に連れてきた。
まず、千葉県での生育が始まるが、気候が合わずに羊毛を生産することは困難になる。
(涼しかったとしても雪深い地域だと、湿度が上がり、羊の発汗作用の妨げとなり、体温が上昇する。羊の生育環境としてはそぐわない。)
大正
そこで岩手、長野、福島、北海道など湿度が低く、羊を育てるのに適した環境である一部地域で羊が育てられるように。
岩手では、東和/宮守/達曽部/遠野の各家庭で羊を2.3頭育てていた。
(多い時で東和/宮守/達曽部/遠野併せて40万頭の羊がいたとされる。)
これらの地域では女性の農閑期*1の仕事として「ホームスパン」が定着したわけだが、
その要因として、売り先が国で安定しており、電気がなくても作るとこができ(糸を撚る/織る作業両方とも手や足踏みで可能)、現金収入がもらえるということが考えられる。
*1 岩手では、羊毛用の羊を育てながら、その堆肥を使って野菜も育てていた。
また、第一次世界大戦も一つの起因と考えられる。
日本も参戦することになるのだが、戦うとなるとシベリアでの戦争が前提となる。
つまりウールの軍服でないとまともに戦えないだけでなく、いるだけで死んでしまう。
それに備え、ウールの必要性がより高まることとなる。
昭和
しかし、第二次世界大戦では、太平洋戦争など温暖な環境での戦いとなったため、ウールを使う機会が失われることとなる。
その当時、東和にはウールの集積所があった。満州から引き揚げた何人かでそのウールを使おうと目をつけ、「河東ホームスパン」を立ち上げる。
その一人が日本ホームスパン現社長の菊池完之さんの父、久さんだった。
(東和町にゆかりがあり、ホームスパンの普及を図った及川全三*2。その師匠である梅原乙子(おとこ)の息子、梅原末雄もそのメンバーだった。)
*2 東和町成島生まれ。柳宗悦の民藝運動に共感し、ホームスパン(羊毛)や成島和紙の草木染に取り組む。盛岡でホームスパンの指導にも尽力した。
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③日本ホームスパンの歩み
「河東ホームスパン」では、米などの作物と作品を物々交換するという形が続いていた。
そのような形態だったためか、会社は倒産。
その後、「河東ホームスパン」の一員だった久さんが引き継ぐ形で「日本ホームスパン」の前身となる「菊池ホームスパン民藝社」を1965年に立ち上げる。
設立当時は問屋に生地を卸していたが、時代ともに既製服が台頭。
そこで、売り先を変える必要が出てきたこともあり、約40年前からデザイナーズブランドと取引するように。
盛岡出身でホームスパンを知っている人がとあるデザイナーズブランドにいたこと。
色んなブランドが出入りしていた繊維の町、東京の八王子。そこの織物屋に岩手にゆかりのある人がおり、その人がホームスパンを紹介してくれたことなどがきっかけ。
岩手の人の故郷を思う気持ちを感じて嬉しくなった。
初めはウールだけだったが、そこから綿/麻/シルク/天然繊維の合繊など、どんな素材でも取り扱うように。
そんな日本ホームスパンは今年で55年、前身である菊池ホームスパン民藝社の10年を合わせると65年の歴史を有する。
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「(世間的に)売れているからこういうのを作りたい」という人とは仕事しない、ときっぱり言う専務の菊池久範さん。価格でしか勝負できない上に、利益のための仕事となると真似て作るしかなくなる。
「こういう世界を作りたいから、(ホームスパンで)こういうのを作りたい」という人。作りたい世界観を表現するものがホームスパン。そういう人との仕事を望んでいるという。
ものづくりを生業とする久範さんの覚悟を感じた。
製作体験/見学
本社工場では、10人以上/要予約で見学も可能。
また、平日3日間で、原毛を染めるところから、糸を紡ぎ、手織りでマフラーを作るところまで体験できる。ホームスパンの流れを一通り体感できる本格的なものとなっている。
興味があるかたはぜひこちらもどうぞ。
※訪問の際はマスク着用、手指消毒のご協力をお願いいたします。