まきまき花巻見たい小原提灯店-花巻まつりと共に
小原提灯店-花巻まつりと共に
69 まき
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花巻市大通りにある大きな「提灯」の文字。

今回は花巻まつりに欠かせない提灯を3代に渡って作り続ける「小原提灯店」の小原生子さんにお話を伺います。

昔から提灯が日本の生活に馴染んでいたこと、そして生子さんの提灯への思いが伝わる取材でした。

 

▲小原提灯店

 

―始まったきっかけ

現在、提灯を制作している小原生子さんは三代目。

 

▲今回お話を伺った小原生子さん

 

生子さんの曽祖父にあたる権八さんが、東和町から相生町(現、大通り)に移り、提灯屋を始めた。「先代がこっちだと商売になると思ったんでしょうねえ」。権八さんはどこかで提灯の制作方法を学び、決意したのだという。

「材料の竹ひごを岐阜の方からしょって3日くらいで花巻に着いたと聞いたこともあるんだよ」

提灯を作る店は昔岩手にも何軒かあったというが(花巻市四日町にもあったそう)、現在はほとんど残っていない。

 

―提灯はどこで使われている?

花巻で提灯といえば「花巻まつり」。
小原提灯店では山車(だし)や神輿(みこし)の提灯を作っている。

花巻まつりの山車は12台。1つの山車におおよそ100個以上の提灯が付いている。毎年1つの山車あたり15から20個の張り替えがある。また、若い人たちの新しい団体の神輿1台に20個制作。樽(たる)神輿のものも何個か張り替える。合わせると、花巻まつりだけで200個~300個の提灯を作っていることがわかる。

花巻まつりの様子はこちら → https://makimaki-hanamaki.com/245

生子さんの提灯が使われているのは、花巻まつりだけではない。石鳥谷/東和/盛岡/江刺/水沢などからの注文もある。お寺や神社の提灯も制作。先代からの付き合い、人との支え合いで商売ができているという生子さん。

お盆の時期は、お盆提灯と呼ばれる家紋を入れた提灯の制作を行う。お仏壇の前や縁側などに家紋を描いた提灯を吊るして仏さまを迎える。

お盆提灯や花巻まつりなど、夏が一番忙しい。どれくらい注文がくるか、期待しながら材料を集める。

 

▲店内にはさまざまな提灯が。

 

冬場は糊が固まり作業ができないため、基本的に制作は行っていない。昔は傘屋も提灯屋も冬には作らなかったという。材料である和紙は冬場に紙を漉くが、提灯は夏場の作業となる。各工芸で制作の時期が異なるが、それによって循環していると考えると面白い。

「お互いに仕事しながら生かしてもらってるんでしょうね」という生子さんの言葉が印象的だ。

 

▲花巻まつりで提灯が揃う景色は圧巻。柔らかい灯が美しい。

 

―提灯の作り方

提灯の主な制作工程は、
型に竹ひごを巻く→和紙張り→型抜き→紋や文字を描く→油引き→天日干し→仕上げ

①型に竹ひごを巻く―型に竹ひごをぐるぐる巻いて、外れないように縦に糸を付ける。

②和紙貼り―型に沿って一定の間隔で貼る。刷毛で糊を付け、ブラシで馴染ませる。和紙は岐阜の美濃和紙を使用。糊は自家製で、お米を擦って煮詰めたものを使っている。

③型抜き―型を抜く。型は乾けば抜ける仕組み。

④紋や文字を描く―家紋や文字を描く。細い筆で筋書きをして、その後染めていく。描く際は提灯屋ならではの「張り竹」と呼んでいる道具を使う。表面が凸凹のため、張り竹を使って和紙を張った状態にして描く。

 

▲(上)張り竹を入れている様子。(左)提灯を張っている様子。(右)張り竹。提灯のサイズによって竹のサイズも変わる。

 

⑤油引き―雨除けのため油を引く。油は亜麻仁油。どの油よりも馴染み、竹に油が染みることも少ない。においも強くない。花巻傘でも亜麻仁油を使っていたが、竹や和紙など、ほとんど傘屋さんと同じような取引先だという。

⑥天日干し―油を引いた後に天日干しをする。毎日出したり引っ込めたりして、おおよそ2週間。油を引き、天日干しをすることで写真のような色合いになる。天日干しは工房の屋根で行う。「お祭りになるとそこに沢山提灯がぶら下がるんだよ」と嬉しそうに話してくれた。

 

▲左が油を塗る前の提灯。右が油を塗って天日干しした提灯。色味が変わるのがわかる。

 

⑦仕上げ―油が乾いたら仕上げを行う。提灯上下の黒い輪「重化(じゅうけ)」や持ち手である「弓」などを付けて完成。

 

▲(上)燭台。昔は提灯がおまつり中に燃えることもあった。今は安全性も考慮して電池灯で代用することが多い。(下)提灯を畳みやすくするため、重化は上が大きく下が小さい。

 

最初に和紙と竹ひごを貼り合わせる部分が重要で、隙間なく張り合わせていないと後で剥がれたりすることもある。最初が肝心。この部分がしっかりできていないとその後の工程にも支障が出てくる。

基本的には生子さんと旦那さんの二人での制作だが、娘さんにも手伝ってもらうという。息子さんたちにも手伝ってもらうこともある。家族はみんな生まれたときから提灯を作っている様子を見てきている。「子どもや孫はここ(作業場)で必ず遊んでいた。だから、作り方なども知っているんだよ」という生子さん。

もちろん生子さんも生まれた時から提灯を見て育ってきた。提灯が生活に馴染んでいるのだろう。

道具も材料も紹介や先代からの付き合いで仕入れている。和紙に関しても、お互い顔を合わせたこともないが、小原提灯店の名前を聞いて、分かって送ってくれるという。昔から注文してくれる神社やお寺も含めて、先代が築き上げた関係性が今もなお続いている。そのような付き合いで助けてもらっているという生子さん。

「真面目にやっていると助けてもらえますよ」。生子さんだからこその関係性だ。

 

―生子さんの思い

今年、花巻まつりが戦後初の中止になり、注文数も激減。提灯を作り続けてこのようなことは初めてだという生子さん。しかし、なによりも楽しいから続けるという生子さんのまなざしを見ると、その純粋な気持ちが使う人にも伝わっているのだと感じた。

 

▲「みなさんのおかげです」と繰り返し話す生子さん。朝起きて気が付けば手が動いているという。

 

3代に渡って受け継がれた小原提灯店の提灯。まつりには欠かせないものである。

小原提灯店では個人的な注文も受け付けているので、気になる方は足を運んでみてほしい。家紋はもちろん、屋号なども対応できるそう。

大変なことももちろんあるけど、なにより花巻まつりの山車が揃い、自分の作った提灯が一斉に揃っている様子を見ると、とても嬉しいという。

「これは、なんとも言えない良い気持ちですよ」という生子さんの素敵な表情が忘れられない。

私が書きました
今野陽介

花巻市地域おこし協力隊。
花巻の工芸品、民芸品が好き。
2019年10月から花巻に住んでます。