まきまき花巻見たい花巻に残る、貴重な戦争の遺構
花巻に残る、貴重な戦争の遺構
120 まき
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以前、自分のブログに掲載した記事の改定再掲。
花巻中学校のすぐ脇を通った時に、見慣れぬものを見つけて車を停めて見た。太平洋戦争時の遺跡があることは88歳の母から聞き前から知ってたが、いつの間にかそこに説明板が作られていたのだ。設置されたのは2019年7月20日と書いてある。今年の夏だ。
レンガで作られた小さな円筒。この中に2〜3人の兵士が入り、周囲からの音をシャットアウトして空からの音を聞き、敵機襲来を察知したらしい。アメリカではすでにレーダーを持っていたはずだし、日本海軍も戦艦などには装備されていたと思う。しかし地方ではまだこんな原始的なことをしていた。西の郊外に北限の特攻隊基地である後藤野飛行場があったせいだろうか。空から敵に察知されないよう、上を藁などで隠していたようだ。
どこの国でも最先端技術や頭脳は軍事に使われる。コンピュータが発明されたのも、はじめは砲弾の着弾位置を計算するためで軍事目的だ。しかし、最新鋭装備の米軍に対抗し、全土が戦時体制だった当時の日本の頭脳はこの程度だったかと思うと、真剣に考えて作られたであろうことがわかる分ちょっと哀しい。いかに狭い情報しかなかったかがわかる。
花巻の中心が丸焼けになった空襲があったのは8月10日。74年経った今も、その日の昼にはサイレンが鳴る。筆者の父も空襲で焼け出されたひとりだったというし、知人にも親類が犠牲になったという人が何人かいる。聴音で防空監視しても、犠牲は避けられなかった。このことは忘れてはいけないこと。
よくぞ遺してもらった。他国と争うことがどれほどつまらぬことか、「愚かな記憶」として心に刻むためのモニュメント。
私が書きました
北山 公路

出版プロデュース、企画・編集のフリーランス。
花巻に生まれ育ち、今も花巻在住。東京の出版社の仕事と地元の仕事半々を花巻でこなす。2017年春から「花巻まち散歩マガジン Machicoco」を創刊し、隔月発行継続中。