花巻市は、岩手県内陸中央に位置し、交通網は東北新幹線、在来線、東北自動車道、いわて花巻空港などが近接しております。大自然の環境に恵まれるなか、温泉の里、賢治の里としても親しまれ、台風・豪雨などの自然災害は極めて少なく歴史・文化のかおり豊かな地域です。
医療法人 中庸会
花巻市において、早くから先進的な「全人的医療」を掲げ実践し続けている「医療法人 中庸会」が注目されています。
医師である似内裕理事長は、大学入学の若い頃に大病を患い、当時の担当医師から50歳くらいまでの寿命かと告げられ、西洋医学の限界を実感したといいます。その時の経験から、必死に断食療法(甲田医院・大阪府)や漢方薬、鍼灸、ヨガなどの代替医療について酵母も含め、研究を深め取り入れてきました。
夢に向かって多目的な舞台
当時から意識して目指したのは『大自然の摂理に基づいた医療』ということでした。
1977年に来久保医院を継承後、人間の健康問題を考える上で、安心・安全でバランスの良いものを食べることが大切だとの認識のもと、無農薬野菜を栽培する関連会社を立ち上げ、無農薬野菜、加工品、ハウス産のいちご、ほうれん草などを院内で販売することを始めました。
また地域への消費酸素補給の願いを込め、小鳥が飛び交う周辺に、広葉樹林、多種の果樹林の植栽。山羊や鶏の放し飼い(以前は白馬も飼育)による有機肥料の自給を図るなど、自然の生態系の豊かさにも努めています。
医院の時代は、早池峰山の湧き水を医院の飲み水として常に補給をしてくれていました。大自然の山川草木の命は繋がり合っているという思想なのでしょう。
1992年「温泉」の医療的効能の活用を目指し、温泉掘削調査・ボーリング工事に着手、1994年についに良質の泉質に恵まれたph9.1のアルカリ性で、湧出量が日量220トンの温泉の掘削に成功しました。
そして翌年1995年には、温泉を利用してステロイド剤に頼りすぎない、アトピー性皮膚炎の治療施設「星の丘クリニック」を開設。
自然豊かな環境の中で、漢方薬や無農薬野菜の食事、心理療法なども併用し、全国各地の多くの患者さんの信頼を集め感謝されていました。しかし10年後、担当の岡部俊一名院長が54歳という若さで急逝されたため、「星の丘クリニック」はやむなく閉院となりました。
その後、この施設に多くの高機能のフィットネスマシンを導入、温泉利用型健康増進施設「健考館・アネックス」として活用しています。
介護施設で安心な暮らし
1996年
温泉を利用できる介護老人保健施設 開設「ゆうゆうの里」(100床 石鳥谷町)
2002年
介護老人保健施設 開設「はやちねの里」(85床 大迫町)
2005年
介護老人保健施設 開設「やまゆりの里」(83床 遠野市)
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2008年
花巻市営石鳥谷医療センターの指定管理者となり、その経営を引き継ぐ。
◎初年度から例年の赤字経営を黒字経営に転換
〈改善意識を高めた経営努力〉
自分たちにできることは自分たちで(例:外注経費節減、清掃費)
〈高圧酸素療法などの医療機能の強化・サービスの向上〉
新たにリハビリ医療への取り組み・かかりつけ医としての医療の充実
その後も地域医療の在り方として、次の目標を掲げ実践し続けています。
①認知症も含めた幅広い疾患に対応すること
②自宅での生活が難しい高齢者のための施設設置
③地域住民の健康づくりに貢献すること
2012年
厚生大臣認定・温泉利用型健康増進施設(岩手県初、全国で当初約20箇所)の『健考館・はなまき』を開設。
「健康寿命を延ばす」ことを大目標に予防医学に添い「メタボリックシンドローム」や「生活習慣病」の改善、予防を目指した「ヘルスアップ・キャンプ」を実施。7泊8日コースでの温泉を利用しながら食事、運動、ヨガ、観光、レジャーなども組み入れ、健康的な生活習慣について学び、体験し、その後の人生の「健康寿命を延ばす」ための日常生活に活かすものです。
●関連施設〈温泉隣接緑地の同一エリア〉
「健考館・アネックス」…運動施設、合宿、催し物
「オーロラ館」…ヨガ教室、講演会、イベントなど
「ペットサロン・ホワイトハウス」…トリミング、ペットホテル
「茶室」…茶会
「ひまわり温泉・ぎんがの湯」…売店で野菜・食品などの販売、食堂・休憩室あり
介護老人保健施設・「ゆうゆうの里」…別地域「はやちねの里」「やまゆりの里」
●関連施設〈車で10分エリア〉
「花巻市石鳥谷医療センター」
医療法人中庸会グループとしては、市内人口減少時代に「市内に雇用人口を増やす」ことも強く意識しながら運営しています。
2019年12月現在、グループ内就業者 260人
2020年 サービス付き高齢者向け住宅「星の丘」(30室)開設…7月現在入居者を募集しています。
「星の丘」は現在自立可能な方々への「生きがい」「医療」「介護」など『健康寿命を延ばす』目標に向けてグループ総力を挙げてトータルサポートを約束して運営する施設です。
病気を患いながらの長生きではなく、健康寿命を延ばし充実した人生の為の長生き目標。
※来春オープン目標で、三陸海岸にオーシャン・ビュウの保養宿泊施設を計画中です。(花巻から車で2時間弱エリア)
今後も「多くの人の健康づくり」「予防医療」「健康寿命を延ばす」ことを目標に掲げ、地域医療の未来を見据え、進化し続ける 医療法人 中庸会 グループです。
【関 連 追 記】
2000年 全国各地からの観光客など、お茶などでおもてなしを目的として、「イギリス海岸・お休み処『くるみの森』」(小田島敬子代表)が活動を始めました。開所以来18年、海外からも含め約2万人の訪問者に恵まれましたがボランティアメンバーの高齢化のため2018年10月15日付で閉鎖となりました。
花巻市で文化・平和活動に献身的に尽くされている妙円寺の林正文住職が、賢治さんと花巻とのゆかりで「イギリス海岸・無料休息所『くるみの森』」は、重要な拠点であり絶対復活しようと13人の仲間たちの新体制で、2019年のゴールデンウイークからリニューアルオープンしました。
毎週金土日、10月15日迄、全国から1286人の方々が様々な思いで訪れてくださり、お互いによい時間を共有できました。今年も3密を避けながら、6月5日からオープンし、交流の場となっています。
昨年も実に多くの思い出に恵まれましたが、「まきまき花巻」で今回私が採り上げた「医療法人 中庸会」と「宮沢賢治」につながる話題を思い起こし、ご紹介します。
2019/6/2
駒澤大学経済学部 姉歯 暁 さん
花巻へ来訪・ゼミ生2名同行
①高松第3行政区に「地域内の助け合い活動」についての取材と講演
②賢治の里の「イギリス海岸」を見学訪問
私は、姉歯 暁さんが学生さんを連れて教育者としての熱意を感じ、特に賢治さんが花巻農学校の教師時代のこと、教師を辞職し一人の農民となって農民・農村のための活動に向かった農民塾である羅須地人協会のことなどを特に詳しくお話しました。
姉歯さんから来訪者ノートに、「ついででは得られないほどに、たくさんの感動と知識を頂きました」とのメッセージをお書きいただいておりました。
姉歯 暁さんから10月下旬、長野県佐久市の「協同組合新聞」に掲載にとの「テーマ:命と暮らしと地域を守るために立ち上がった佐久総合病院・若月先生の闘いとその後」というA4・6枚の資料原稿を郵送してくださり、その緻密な論考内容に感激したものです。
別に、若月俊一・著『村で病気とたたかう』岩波新書の数枚のコピーも添えられていました。
それに依ると若月俊一医師が当地に赴任したのは、終戦の年の3月でした。無医村状態の農村に医師が出かけていくという画期的な出張診察活動を12月に始め、その時期に演劇を通じて啓蒙活動を行っています。更に私が驚いたのは、次の文章です。
『私どもがこのように農村演劇に力をつくすについては、宮沢賢治先生の教えが大いに影響があったことをいわねばならない。先生はこういっている。「農村で文化活動をするに当たって、二つのことを君たちにおくる。一、小作人たれ。二、農村劇をやれ。」この言葉は松田甚次郎・著『土に叫ぶ』の中の恩師宮沢賢治先生の章でに、彼の教えとして載っている。(私は終戦前にこの本を、例の井出一太郎さんから頂いたことを感謝をもって付記しておかねばなるまい。)私はこの本から大きな感銘を受けた。村の中では、「貧しい農民」の立場に立たなければならない。そして、農村劇をやれ、難しい演説なんかやるなという。なんという素晴らしい発想だろう。私もこの偉大な詩人の精神から出発しようと思った。
※ 井出一太郎氏は三木武夫内閣での官房長官
※山形県最上地方きっての旧家の総領息子である松田甚次郎が、盛岡高等農林学校を卒業し帰郷直前の昭和2年2月1日に、「岩手日報」に載った賢治の「農村文化の創造に努む…」という記事を見て、独居自炊中の「羅須地人協会」の賢治を訪ねたのでした。
その場で「一、小作人たれ」、「二、農村劇をやれ」という言葉を贈られ感動。帰郷後、松田の10年間の生活記録「土に叫ぶ」は、昭和13年長野県の衆議院議員・羽田武嗣郎の出版社から刊行され大きな反響を呼び、ベストセラーとなりました。羽田武嗣郎は、元内閣総理大臣・羽田孜の厳父であり、羽田雄一郎参議院議員の祖父です。
若月医師が出張診療活動を始めた動機は、日夜病院で「手遅れ」の患者ばかりを診ていることでした。
一歩進んで村の中に入っていって、「病気を早期に発見することの方がより重要ではないか」この実践に踏み込まねばと考えたのです。
若月俊一医師が人生をかけて実践した地域の保健予防医療を続けてきたことが、佐久総合病院の特徴だといいます。
「医者は病気だけを診るのではなく。人間をみるべきである。」とも強調されていたといいます。
(姉歯論考より)
「今では、佐久総合病院の医療マネジメント講座は、全国から病院の幹部たちが押し寄せるほどの盛況だということです。
また、経験・膨大な蓄積から生み出された科学的見地に基づく実践は県内全域へ、そして全国へ、さらに世界へと広がり、今では、佐久総合病院に1994年に設立された国際保健医療科を窓口に70ヶ国を超える国々から視察や研修生の研修を受け入れている」
長野県は教育県と言われ、また佐久市を始め長野県は医療の様々な面で先進の地だと言われています。
戦後の医療事情に乏しい時代から永年にわたって、地域医療に幾多の困難を戦い抜いた若月俊一医師の偉業が、今回を機に改めて偲ばれるものです。
昨年11月23日に続き、12月14日に花巻市と友好都市の神奈川県平塚市博物館で開催されていた素晴らしい特別展「賢治がみつめた石と星」展を、鎌倉・賢治の会の会長と一緒に鑑賞しました。その晩、銀行時代から親友の鎌倉在住の小池さんと会食した折に「若月俊一医師」のことを話題に持ち出したところ、様々な事柄の一つとして「昭和20年代の子どもの頃に叔母に連れられて若月医師の演劇を鑑賞したことを今でも思い出される」という話がありました。
出身地の小海町(佐久総合病院の分院がある)・川上村(今は高原レタスの大産地)周辺の住民の間では、今でも語り継がれているとの貴重な証言でした。
(なお、その叔母さんの長女が、東北大学の元副学長夫人とのことでした。)
また、昨年の宮沢賢治学会イーハトーブセンターの「宮沢賢治功労賞」を受賞された「佐久賢治を読む会」の依田 豊会長にも、今月に地元の伝説の人、若月俊一医師についてのお話を伺う機会を得ました。
依田会長は、以前から詩「稲作挿話」・「あすこの田はねえ」のモデルといわれる賢治が開設し、愛弟子の菊池信一が助手をつとめた「石鳥谷肥料相談所」の活動に関心を寄せられ、今までに何度か見学に訪れ、昨年も授賞式の翌日23日に訪ねてこられました。
さすがに佐久総合病院(本院)の地で、7年前に佐久医療センターも新築されたということでした。
様々なエピソードを伺い、出版物の「村で病気とたたかう」と、病院で一緒に働いて芥川賞作家となった南木佳士・著の「信州に上医あり」と「山中静夫の尊厳死」のことも話して下さいました。
今月7月16日はNHKラジオ深夜便(AM4.05~5.00)でインタビューを受けていた『だれひとり取り残さない医療を目指して』〈プライマリー・ヘルスケア〉の活動をしていた本田徹先生のお話でした。国際協力機構のチュニジアでの任務が終わり、改めて若月俊一・著の「村で病気とたたかう」を読んだそうです。
1979年若月先生のところに手紙で、佐久総合病院での勉強を依頼したところ、快く受け入れてくれて、身近で貴重な経験をさせてもらったとのことでした。
「若月さんは当時70代半ばで、物凄い行動力で病院仲間と活動し、大変な勉強家であった」
「医療技術は社会の公共財であり、自分の物と考えてはいけない」
と言い切ったといいます。
実に各方面の方々に、若月医師の生き方の信念が伝わっているものだと感服させられます。
私としては、似内裕医師と若月俊一医師とは、医療に対する深い理念のところで通底しておられるものと感じ入っているものです。
似内先生は、花巻市のかかりつけ医として、西洋医学のみならず全人的代替医療も含め、予防も視野に入れた地域医療に奮闘してくださっていることに敬服するばかりです。