まきまき花巻味わいたい伝統を守りながらチャレンジを
伝統を守りながらチャレンジを
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花巻市石鳥谷町は南部杜氏の里と言われるが、実は現在酒蔵は1ヶ所しかない。かつては宝峰や七福神などいくつかあったのだが、現在も変わらず酒を作り続けているのは、合資会社川村酒造店だけだ。

南部杜氏は、今も続く出稼ぎの杜氏。農閑期に東北の他県や関東、関西などに出かけて行って、その土地の酒を作ってきた。だから南部杜氏の里なのに酒蔵が少ないのかもしれない・・・というか、だからこそ「里」なのかも。隣の紫波町にも南部杜氏による酒蔵はいくつかあるが、別に町の境界線で区切られているわけではないので、石鳥谷〜盛岡にかけてが広く南部杜氏のふるさとなのだろう。

それではなぜ石鳥谷が南部杜氏の里と言われるかというと、現在の南部杜氏協会につながる南部杜氏組合を立ち上げたのが、この川村酒造店の初代である川村与()右衛門だからとのこと。岩手県内の酒蔵はほとんどが商家による経営で、作り手である杜氏は雇用される立場だったらしい。今風に言えばCEOとCOOまたはCTOの関係だ。ところが、当時腕の立つ知られた杜氏だった川村酒造店の初代は、大正11年に自ら蔵を立ち上げた由。南部杜氏にスポットを当てた功労者と言えるだろう。

「本当の酒の美味しさを再確認できる、個性ある酒を作りたい」と4代目の川村直孝さんは終始静かに自分のチャレンジを語ってくれた。

川村酒造店でも、現当主直孝さんのお祖父さん、お父さんである2代目、3代目は経営者に徹していたらしいが、4代目は初代に続き、自らの意思で蔵に入った。

「はじめは杜氏に嫌な顔をされました(笑)やりたきゃ自分で覚えろと。でも入ってよかった。製造の基本がわかるし、何よりものづくりは面白いです」

代々続く酒造りを身につけていくうちに、新たな自分なりのこだわりと目標ができ、初代から続く銘柄「南部関」と並行して、直孝さんは新たに初代の名を冠した「与()右衛門」を約20年前に立ち上げた。

「今流行っている、香りが強い酒のように自らをあまり主張するのではなく、ちゃんと料理に合う、あえて熱燗で美味しい酒を作りたいのです。熱燗は言ってみれば速成熟成。寝かせられない酒ではなく、熟成で美味しくなる酒で勝負をかけたいのです」と直孝さんは相変わらず静かに語る。

 酒造りは米ができる10月から4月ごろまで、寒い時期に行われるが、年によって気温も湿度も違う。温度や湿度は麹に影響が出る。その違いにどう対応するのか、作り手の力量が試されるところだそうだ。生き物相手の仕事だからこそ難しい。前年の反省を生かし、気候の違いに対応しながら翌年に反映させる。1年スパンの忍耐がいる仕事だが、その息の長いサイクルを通して直孝さんのチャレンジは続いている。

「酒造りは10月から4月ごろまで。それ以外の季節は瓶詰めしたり、出荷したりしていますが、いま1町歩しかないうちの田んぼをもっと拡げて、将来は酒米作りから手がけたいと思っています」

 今も地元の米を使い、「蔵の味」を追求している直孝さんのブレない姿勢に職人の矜持を感じた。

※「与」は酉へんに「与」

 

  • この大きな釜で米を蒸す

  • 麹を育てる部屋は温度と湿度が厳重に管理される

  • 米の表面だけではなく、中まで麹を育てるには乾燥が必要

  • 昨年南部杜氏協会の試験に合格したという杜氏の三上さん

  • 大正11年創業当時のままの蔵。震災で天井が抜けたという

  • 蔵の中でじっくり進む発酵

  • 酒造りの神様である松尾大社のお札が蔵に祀られている

  • 発酵が進む新酒。ぶくぶく泡が立っている

  • 絞り機。絞りカスは酒粕として販売される。

  • 特別に営業しておらず注文に応える形で、6割は首都圏に販売。

  • かつてはこの2階に杜氏が寝泊まりして酒造りに従事していたとのこと。パートを含め、8人ほどいる今の従業員は通いで勤務している
私が書きました
北山 公路

出版プロデュース、企画・編集のフリーランス。
花巻に生まれ育ち、今も花巻在住。東京の出版社の仕事と地元の仕事半々を花巻でこなす。2017年春から「花巻まち散歩マガジン Machicoco」を創刊し、隔月発行継続中。