まきまき花巻体験したい唄い継がれてきた秘謡「ご祝い」
唄い継がれてきた秘謡「ご祝い」
115 まき
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私事で恐縮だが、私のルーツは花巻にない。父方の祖父は山口県から来ているし、祖母は盛岡の士族出身。母方も祖父は紫波町の出身だし、祖母は仙台だ。なぜかその祖父母の代から花巻に土着したのだが、親族はほとんど花巻にはおらず、花巻における私自身の家系はほぼ我が家だけみたいなものだ。両親が家を建てたのは当時の新興住宅地。土地に歴史も何もあったものじゃないし、代々住んでいるわけではないのでしきたりや伝統的生活慣習などのこの地ならではの有職故実にも疎かった。だから結婚して農村地帯に家を建て、住み始めてから知った「農村コミュニティー」はすべてが目新しく、興味津々で学ぶ毎日だった。

中でも一番驚いたのは「ご祝い」という唄の存在だった。暮らし始めた早々、公民館で集まりがあると聞いて出かけて行った。会議はすぐ終わり、みんなで準備して乾杯に移る。少しすると「それでは恒例のご祝いを」という声がかかる。それまでは無礼講とばかりてんでに盃を酌み交わしていた人たちがすぐに自分の席に戻り、正座になって静かになる。もちろん何が始まるのかわからない私もそれに倣った。長老的な人が「僭越ながら音頭をとらせていただきます。時間の関係で『さいわい』でお願いします。後に続いて・・・」と言うや否や、手拍子を始め唄を一節唄うと、同じく手拍子を始めていたその場にいる全員が続けて唄い始めた。「ご祝い」というからには祝い歌のはずなのに、その旋律はマイナー調で、まるで御詠歌のように寂しげ、哀しげだった。公民館の壁に「ご祝い」と書いた歌詞が掲げられていたので、歌を聴きながら歌詞を目で追ったのだが、一体どこを歌っているのかわからない。歌詞は短いのに歌はやたら長い。手拍子も一定のリズムかと思いきや、2拍がいきなり3拍になったりして、ついていくのに精一杯だ。何が何だかわからないうちに唄は終わり、またみな三々五々盃を傾け始めた。

  ご祝いは繁れば おつぼの松はそよめく

  上り舟に花が咲いた 下り舟に実がなる

  まるき銭は数知れぬ 黄金の倉は九つ

  雫石は名所どころ 野菊の花は二度咲く

  おゆるゆるとお控えなされ 大沢川原に舟がつくまで

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  テデポ鳥は山鳩によく似た

「いったいこれは何ですか?」と周囲の人たちに聞いたと思う。しかしみんな苦笑いして「何だろうね」と言うばかり。しまいには「宴席では唄うことになってるのさ」という結論になってしまった。それからは年に何度かの会合のたびに聞くこととなり(だんだん手拍子だけは覚えた)、そのたびに違う人たちに「これは何ですか?」と聞いてみた。

ある時「どうやらこれは隠された意味がある歌詞らしい」という人が現れた。その人の話によると、この唄は江戸の昔から唄われているもので、「殿様に見初められた娘がお城に上がり、殿様の子種を宿して戻された・・・めでたい」ということを唄っているのではないかという。第1節はめでたいことを寿ぐ歌詞。第2節「上り舟には花が咲いた=美しい娘が船でお城に上がった」「下り舟に実がなる=子を宿して帰ってきた」。第3節は殿様から娘や生まれる子、あるいはその家族への褒賞。第4節と第5節の意味は不明ながら、他の節より短い最終節は「テデポ鳥=生まれた子」は「山鳩=殿様」によく似ていることを唄ったもの。「たぶんはっきりと唄えないから、隠し言葉で歌詞にしたらしいんですよ」とその人は声を潜めて言っていた。なるほど、確かに腑に落ちる。

「雫石」や盛岡と思われる「大沢川原」という地名が出てくるので、もしかしたら旧南部藩全域で歌われていたのではないかと思い、本やネットで調べたり、県内各地に住む知人たちに聞いてみたところ、どうやら花巻周辺はもちろん、紫波や雫石、県北の方でも多少歌詞や旋律が違っているものの、唄われていたらしい。残念ながら古くからの人たちが住んでいる農村地帯以外はその伝統が途絶えているようで、歌われている地域がかなり減っているようだが、雫石の人から有力な手がかりとなる昔話を聞いた。「その昔、雫石の殿様に見初められてお城に召された美しい女性『野菊』は、些細な粗相により城から追い出された。しかしその時すでに殿様の子を身ごもっていた野菊は里で子を生む。時が経ち、立派な少年となった子はお城へ行く。少年が自分の子だと分かった殿様は、再び野菊を城に呼び、幸せに暮らしたのだという」。これが第5節の「野菊の花は二度咲く」だ。ちゃんと歌詞の意味が通っている。

この「ご祝い」、調べてみて分かったのだが、「岩手県旧南部藩に伝わる古謡」と何人かの研究者が論文や本に書いているだけで、どうやらきちんと研究されていないようだ。どの地域に残っていて、地域ごとにどう変化していて、どういう意味が込められているのか。できればいつ頃から唄われてきたのか。時間があれば研究してみたいものだ。

ところで「ご祝い」の面白さはこれだけではない。「ご祝い」の「ご」を「五」と捉え、「長いから5番のうち3番だけ」というところを「さいわいで」という言い方をする。「さ」を「3」にしているのだ。「ご祝い」を「さいわい」で唄う。洒落ているではないか。こんな頓智も面白いところだ。

なお、初めて聞いた時からこの唄に強烈な印象を持った私。練習したり教わったりして、数年のうちに唄えるようになったのは言うまでもない。

私が書きました
北山 公路

出版プロデュース、企画・編集のフリーランス。
花巻に生まれ育ち、今も花巻在住。東京の出版社の仕事と地元の仕事半々を花巻でこなす。2017年春から「花巻まち散歩マガジン Machicoco」を創刊し、隔月発行継続中。