はじめまして!
市民ライターに登録してから1本目の記事になります、「まりか」です。
わたしは盛岡市出身で、大学卒業までは実家で過ごしました。その後は宮城・東京で6年ほど働き、盛岡に戻って約1年間勤務したのですが、現在は東京に転職が決まっており、再び岩手を離れることになりました。自分の将来を考える中で、このまま首都圏で暮らしていくのかもしれない、でも岩手とのつながりをずっと持っていたいな…という気持ちで市民ライターに応募しました。
さて、ここまで全く関係なさそうに見えるわたしと花巻市のつながりはというと、実家で一緒に住んでいたおばあちゃんが花巻市出身です。わたしが大学生の時に亡くなってしまいましたが、おじいちゃんは今でも「おばあちゃんはな、ミス花巻で美人さんだったんだ!射止めた俺は本当にすごい云々…」といった自慢話をよく聞かせてくれます(真偽は不明です笑)。
おばあちゃんの弟にあたる、おじちゃんが花巻で一人暮らしをしていて、お盆には家族でおじちゃんの家に遊びに行くのが夏の恒例行事でした。
今回は自己紹介代わりに、わたしの花巻での思い出を振り返ります。
子どもの頃の楽しみ
小学生のころ。お盆になるとおじいちゃんが運転する車で、盛岡から花巻のおじちゃんの家に向かいました。おじちゃんと合流すると、みんなで墓参り。小学生のわたしにとっては正直、楽しい行事ではありません。唯一の楽しみといえば、ご先祖さまが眠るお寺で、8月15日の終戦の日に合わせて普段は立ち入れない鐘が解放されていたことです。戦没者追悼と恒久平和を願う「平和の鐘」の行事だったようで、小学生のわたしは、その日だけ鐘をつける特別感に胸を躍らせ、大きな音を鳴らせるわくわくで場違いにはしゃいでいました。
墓参りが終わると、おじちゃんのおもてなしの時間です。おじちゃんは会いに行くたびに、必ずお昼ご飯をごちそうしてくれます。当時は花巻にバーミヤンがありました。わたしからすれば、バーミヤンは当時の盛岡にはない珍しいお店で、なんでも好きなものをごちそうしてもらえる場所でした。その太っ腹な姿を見て、(お手頃なチェーン店であるということはつゆ知らず)おじちゃんってお金持ちなんだ!と少々ずれた感動をしていました。花巻の思い出で強く印象に残っているのがバーミヤンだったので、いつの間にかなくなっていたと知ったときはショックでした。今では盛岡に店舗ができましたね。
その後は南部家敷(岩手生まれの和食レストランチェーン)に連れて行ってくれるようになりました。その頃にはメニュー表で一番高いものを注文する、がめついがきんちょになっていました。ちなみに、亡くなったおばあちゃんの生前最後の写真は、この南部家敷でパフェを食べているものです。我が家は家族旅行をすることもなかったので、おじちゃんに会いに行くために花巻に行っていたことが、わたしにとっての “家族でちょっと遠くにおでかけ”した記憶。花巻には、懐かしい家族の思い出が詰まっているような気がします。

ポッポのポテト(デラックスサイズ)
そうそう。盛岡にないと言えば、バーミヤンの近くにはイトーヨーカドーもありました。某テレビ番組で、イトーヨーカドー系列のフードコートにある「ポッポ」のポテトがおいしいと話題になっていて、それを目当てにわざわざ訪れたこともあります。今はロピアに生まれ変わったと聞いているので、近いうちに行ってみたいです。
そんなこんなで、わたしにとって花巻は、盛岡ではできない体験が叶う非日常の場所でした。
大人になって訪れた花巻
大学を卒業し、社会人になって上京したわたし。すると間もなく、新型コロナウイルスが流行しました。当時の岩手県は、最後までコロナの感染者数がゼロ。鉄壁ガードの岩手県に帰省する勇気はなく、次に花巻を訪れることができたのは、2024年でした。
母が「花巻東高校に菊池雄星選手と大谷翔平選手の手形のあるモニュメントができた」と話していて、家族で見に行くことに。スポーツにはかなり疎いわたしですが、それでもミーハー心がうずうずしてしまうほどの有名人です。モニュメントの近くでは、生徒のみなさんが練習に励む姿を見ることができ、その空気感に触れられたことも印象的でした。思わず「ここが花巻東高校なんだ」と浮き足立ってしまいました。

母の手と比較しました
こちらが菊池雄星&大谷翔平の手!でか~い!
わたしが大谷翔平を知ったのは高校生の時。今やメジャーで大活躍だもんなぁ…時の流れを感じます。余談ですが、生徒さんが「ありがとうございます!」と元気に挨拶してくれるのが新鮮でした。さわやかすぎる~!これは応援したくなりますね。
そして、2025年のお盆。おじちゃんがもう予約してあるからと連れて行ってくれたのが、「新亀家」でした。

新亀家
外観からして、これまでのお店とはまた違う落ち着いた雰囲気があり「なんだか今日は特別な日なのか…?」と少し緊張してしまいました。着物がお似合いのスタッフさんや、至る所に飾られたサインや賞状、畳の上に広いテーブルがある素敵なお部屋など、どこか背筋が伸びるような空気があったんです。
でもなぜかスタッフの方と親しげにおしゃべりするおじちゃん。わたしと妹は「どういう関係…?」と小声で探っていましたが、調べると新亀家は90年の歴史があるのだそう。花巻で長く暮らしてきたおじちゃんにとっては、こういうお店も「特別」ではなく日常の一部なんだろうなと感じました。写真撮影をお願いした時は「あそこがおすすめですよ!椅子持っていきますね!」など、スタッフのみなさまには和やかに声をかけていただき、あたたかい雰囲気が印象に残っています。

うわあ〜おいしそう!!
運ばれてきたお膳には、天ぷらやお刺身に加え、三つに仕切られた器には煮物やだし巻きたまご、湯葉が丁寧に盛られていました。
昔なら真っ先に、天ぷらにがっついていたでしょう。でも今は、お膳が出てきた瞬間の高揚感を大事にしたいし、素材の良さや、こだわりも見つけたいと感じます。何かわかったように、家族と「どうすればこんなにサクッと衣を揚げられるんだろうね」なんて、再現できるはずもないのにおいしさの裏側を想像したくなったりもします。
一品ずつゆっくり味わいながら、じんわりと思いました。
子どもの頃のわたしにとって花巻は、盛岡にはないものがある場所でした。バーミヤンがあって、イトーヨーカドーがあって、おじちゃんがお昼をごちそうしてくれる。それだけで特別でした。
おばあちゃんはいなくなってしまったけれど、おじちゃんが「お昼を食べよう」と迎えてくれるのは、あの頃と変わりません。あの頃の思い出の続きに、今の花巻があります。わたしにとって花巻は、昔の時間に今の時間が少しずつ重なっていく場所なのかもしれません。
また何年かたってこのまちを訪れたとき、「こんなこともあったな」と思い出せる出来事が、市民ライターとして少しずつ増えていったらうれしいです。





