小説家・劇作家の故:井上ひさし氏は小学五年の時、宮沢賢治童話『注文の多い料理店』や『どんぐりと山猫』を読んで宮沢賢治大好き人間の病に(?)感染して、青春時代を過ごしていたらしい。
井上氏は、若かりし頃、釜石市にある、国立療養所の職員となりその野球クラブに投手として所属。昭和29年頃、岩手県内国立療養所野球大会が花巻市で開催された際に、花巻を訪れた。
詳細は井上ひさし著『宮澤賢治に聞く』に書かれてあるが。この時、宿泊所となったのが花巻療養所内の空(から)社宅(試合も同所グラウンド)。
その日井上氏は朝食後、腹ごなしに散歩に出かけることにした。出がけにたまたま療養所の正門に掲げてあった住所表示を見てびっくり、花巻市下根子とあったのだ。
宮沢賢治の、あの下根子とはここだったのか!「賢治が眺め暮らした下根子の風景を今、俺がこうして眺めている」 そう大感激した井上氏は野球大会の試合など、そっち退けでエデンの東ならぬ宮沢賢治の聖地を目指し東へ東へとさまよい歩いたとか。

旧花巻療養所(現、国立花巻病院)
ここから井上ひさし氏の賢治聖地を探し求める散歩が開始された。

井上ひさし氏が、宮沢賢治の聖地を目指し、とにかく東へ東へとさまよい歩いた道。

ここが宮沢賢治が農耕自炊して住み暮らした所
(雨ニモ負ケズの詩碑)

現在、花巻農業高校の敷地内に移築されて建つ(通称:賢治先生の家)の玄関脇に掲げられていた不在通告「下ノ畑ニ居リマス」その下の畑(変形三角地帯)
お昼頃、療養所に戻った時には既に野球の試合は終わっていて、あろうことかエースの井上氏がいなくてもチームは立派に勝っていたという落ちが付く。

現在のイギリス海岸。
ここは雨ニモ負ケズの詩碑からずっと離れて遠き北側に位置する。
井上ひさし氏ははたして、ここまで行き着けたのだろうか?著書にそれは書かれていない。

普段は水かさが多く確認することができないが、毎年宮沢賢治の命日に、水かさを調整してイギリス海岸を出現させる試みが行われている。