まきまき花巻体験したい賢治さんが歩いた森をたどる〜権現堂山から八幡館〜
賢治さんが歩いた森をたどる〜権現堂山から八幡館〜
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「賢治さんの歩いた権現堂山に一緒に登ってみない?」

と誘っていただいた時、はずかしながら宮沢賢治さんと権現堂山の関わりを知りませんでした(;´д`)

 

宮沢賢治さんは大正7(1918)年5月に、稗貫郡内の町村を歩き土性調査を行いました。盛岡の高等農林学校を卒業し、その後も研究生として在籍していた頃です。 

 

《五月十九日夕 大迫町 石川旅館ニテ 賢治拝》

 本日は葛の渡しを経、八重畑役場にて案内を得て権現堂山を超えその東の廻館山を廻りて亀ヶ森八幡館に出で候処、未だ午後二時にて更に大迫に参り当地に泊致すべく候。
 明日は当地より石鳥谷に至る街道に沿ひて縷々横道に入り見る位の事に有之候。明後日夕刻帰花仕るべく候。明後日にて五万分一地形図の花巻号は大体調査済みと相成るべく候。

(ちくま文庫・宮沢賢治全集9「書簡」より抜粋)

 

という内容の葉書を、賢治さんは父の政次郎さんあてに送っています。

当時は携帯電話やスマートフォンの無い時代でしたから、葉書を送るのは自然なことなのですが、わたしから見ると賢治さんはかなり筆まめだったと思います。1日に何通も送ったこともあったみたいです。今は葉書や便箋と封筒を使って近況や気持ちを伝えるということはめずらしくなってしまいましたね。かくいう私は、お手紙職人ですが。

 

 

賢治さんは作品に実際の地名を使っていることが多いため、賢治ファンのみなさんの中には「足跡を辿りたい!」という方も多くいらっしゃいます。

今回は、大迫町亀ヶ森のコミュニティ「亀林会」のみなさんが中心になって準備を進めでくださり、この権現堂山を歩くイベントが実現しました。定員50名での開催にかかわらず、多くの応募があったそうです。参加した方にお話を聞いてみると、賢治さんに興味のある方だけでなく、山歩きが好きな方、自分の住んでいる地域をもっと知りたいという方もいらっしゃいました。

 

 

権現堂山を歩く

当日は曇り空。
葛の渡しのポイントまでバスで向かった時には、雨がザーザー降り始めました。これは、中止かなぁと思いましたが、八重畑村役場跡地へ向かい、そこで少し様子をみることになりました。

その時バスの中で流してくださったのが、花巻の学校の生徒さんたちによる詩の朗読です。

 

一〇三四 〔ちゞれてすがすがしい雲の朝〕

ちゞれてすがすがしい雲の朝
烏二羽
谷によどむ氷河の風の雲にとぶ
いま
スノードンの峯のいたゞきが
その二きれの巨きな雲の間からあらはれる
        下では権現堂山
        北斎支那の絵図を
        パノラマにして展げてゐる
北はぼんやり蛋白質のまた寒天の雲
        遊園地の上の朝の電燈
こゝらの野原はひどい酸性で
灰いろの蘚苔類しか生えないのです
        権現堂山はこんどは酸っぱい
        修羅の地形を刻みだす
         ……(以下略)

(ちくま文庫・宮沢賢治全集2「詩ノート」より抜粋)

 

長い詩なので、割愛しますが気になったら全文を読んでみてください(´∀`=)

 

そうこうしているうちに雨が止み始めました!

午前11時、権現堂山の登山口に到着し、いよいよ山歩きのスタートです。

この日は、植物や地質、そしてもちろん賢治さんにお詳しいインストラクターの方が参加してくださいました。各グループに分かれて歩きましたが、講師の方が鳥や植物について説明してくださったので、とっても面白かったです。ウグイス、シジュウカラ、サンコウチョウ…。聴いているだけでとっても癒されます。

このあたりは花崗岩の地質です。賢治さんの作品の中にある「孤独と風童」という作品に、“白いみかげの胃”という言葉が出てきます。これは、「花巻東部にある花崗岩地帯が地質上で胃袋の形によく似ているから」という説があるそうです。

 

三三一 「孤独と風童」

シグナルの
赤いあかりもともったし
そこらの雲もけちらしてしまふ
Yの字をした柱だの
犬の毛皮を着た農夫だの
けふもすっかり酸えてしまった

東へ行くの?
白いみかげの胃の方へかい
さう
では おいで
行きがけにねえ
向ふの
あの
ぼんやりとした葡萄色の空を通って
大荒沢やあっちはひどい雪ですと
ぼくが云ったと云っとくれ
では
さようなら

(ちくま文庫・「春と修羅 第2集」より抜粋)

あらためて、賢治さんはご自分の足跡をいろんなものに残していたんですね。それをたよりに、ファンが歩くなんて予想もしていなかったことでしょう(*⁰▿⁰*)
日記のようなメモのような、不思議な文章です。

午後1時ごろ、権現堂山を下り終えたところでお昼ごはん。塩のきいたおむすびをほおばると、疲れもふっとんでいきます。
実はこのあたり、山菜がたくさん生えているのですが、鹿の親子を山で初めて見ました。鹿は警戒心が強いと聞いていたので、野生の鹿を見ることなんてないと思っていたのですが、私たちの数メートル先を横切っていきました∑(゚Д゚)

廻館山(まつたちやま)を越えて

さて、後半は廻館山の尾根を超えて亀ヶ森八幡館を目指します。
山歩きも中盤、地質が専門の対馬先生があるものを見せてくれました。

これはクリノメーターという測定機械です。

クリノメーターとは、地質調査(地表調査)において、面構造および線構造の測定を行うときに用いる道具です。ルーペ、ハンマーと共に、地質調査の三種の神器とも呼ばれています。

(Wikipedia参照)

クリノメーターを使うのが、賢治さんは上手だったそうです。
思わずその姿を想像してしまいました\(//∇//)\

このあたりは、大きな岩がどーんとあってなかなかの迫力でした。いい感じに苔も生きていて、触れていると石に宿る精霊的なものの声が聞こえてきそうでした。こういう感覚はフィールドワークの醍醐味ですね。

そうして歩くうちに、これまた初めて見る植物を発見しました。

その名は「銀竜草(ギンリョウソウ)」。日本全土に分布し、針葉樹林や広葉樹林のやや湿り気のある場所に生育するのだそうです。
まるで、トーベ・ヤンソンの「たのしいムーミン一家」に出てくる、ニョロニョロという生き物にのようです。そこらいっぱいに生えていたので、とっても興奮しました。

再び歩き続け尾根を超えたのですが、最後の下りが大変でした。雨が多く降ったため、足場がだいぶぬかるんでいましたので、何度も尻もちをついてしまいました。登山初心者はこういう経験を何度もしないと足が慣れないのだと思い知りました。訓練が必要です。
とはいえ、大きな怪我もなく麓まで降りることができました。

終わりに

山歩きを終えて、最後に賢治さんの詩をひとつ朗読してくれないかと頼まれましたので、
「霰」という詩を読ませていただきました。
ここでは引用を割愛しますが、この詩は大迫の町の風景ではないかというお話を聞きました。そういうお話を聞いてから、当時の大迫町の写真を見せていただき、想像してみると、情景がありありと浮かんできます。

こうやって体験を通していろいろなことを知っていくと、少しだけ賢治さんの世界を見せてもらったような気持ちになるのです。

私が書きました
塩野 夕子

2018年9月、宮沢賢治が好きすぎて埼玉県から移住してきました。
まきまき花巻編集部と市民ライターの二足のわらじで活動しています。
現在は宮沢賢治記念館に勤めながら、大迫町の早池峰と賢治の展示館・2階にある「賢治文庫」も管理しています。