お米・雑穀・野菜・くだもの・畜産・酪農・お花・・・花巻の農の風景の中で育っているさまざまなおいしいもの。そしてそんな花巻をふるさとにもつ宮沢賢治の作品世界や食のエピソードから味わうことのできる、花巻のしゃれたエッセンスと、ゆるゆるした明るい時間。知っているようで、知らないような。食べたことがないようで、あるような。そんな「花巻の農と食」×「宮沢賢治」が織りなす時空を超えたレストラン。どうぞごゆっくりお召し上がりください。
おこしいただきありがとうございます。
第3回は、賢治さんの作品世界に広がる田園風景に想いを馳せながら、花巻のお米と雑穀をご用意させていただきました。
■光と風が織りなす田園風景
今回のタイトルにある「五穀(ごこく)」は、稲や麦、そして稗(ひえ)・粟(あわ)・黍(きび)などの雑穀、大豆や小豆などの豆などの穀物全体のことをさした呼び方です。
花巻は、そんな五穀の生産地です。
だからこそ花巻には四季を通して美しい田園風景があります。例えば、田植えのはじまる田んぼは水が張られてきらきら光り、稲がすくすく育つ夏の田んぼに風が渡っていきます。収穫の季節を迎えると一面が黄金色に輝き、雪が降れば白い地平線がどこまでも続く雪野原。そして雪がとけ、春の気配といっしょに大地からは土のにおいがたちのぼってきます。
そしてそんな風景は、賢治さんの作品世界の中にもたくさんあります。作品世界の住人たちも、お米をはじめ、麦、稗、黍、粟、蕎麦などのあらゆる穀物を育てています。
■畑の恵みを探しに 花巻の農の風景7
賢治さんに想いを馳せながら、畑に会いに行きました
花巻市石鳥谷(いしどりや)町は、賢治さんが稲作指導などで活躍したところ。現在、りんご、りんどう、日本酒などの特産品のある町です。
田植えの季節がはじまると、道の駅石鳥谷のちかく、石鳥谷生涯学習会館前の駐車場の線路の向こうに「八幡田んぼアート」が現れます。この連載の第1回「畑の恵み、町の食卓」の一番最初の写真は今年2018年の風景です。
この催しは、2010(平成22)年から地域住民や団体のみなさんの協力のもとに毎年行われています。約30アールの水田をキャンバスに見立て、6種類の稲を使って作られる巨大アートは実にカラフル。賢治さんの作品世界や市の鳥であるフクロウ、鹿踊、南部杜氏など、毎年異なるデザインで楽しませてくれます。
今年(2018年)は風の又三郎。「風がどっどどどどうと吹く」ということばとともに又三郎が田んぼの上をすいーっと飛んでいます。
田んぼアートが見られるのは田植えがおわった6月上旬から稲刈り前の10月上旬まで。見ごろは6月下旬から8月中旬ごろです。
◆八幡田んぼアートプロジェクト ホームページ
https://www.city.hanamaki.iwate.jp/shimin/chiiki/180/p005141.html
■賢治さんの作品世界は米どころ
賢治さんの作品の中では、お米や稲は「稲」「陸稲」「田」「玄米」「飯」「陸羽132号」など様々な言葉になって登場しています。そんなお米のある風景をいくつかご紹介しましょう。
りんと立て立て青い槍の葉
たれを刺さうの槍ぢゃなし
ひかりの底でいちにち日がな
泥にならべるくさの列
(ゆれるゆれるやなぎはゆれる)
(「青い槍の葉」)
この作品は賢治さんが生前唯一出版した2冊の本のうちの1冊、心象スケッチ『春と修羅』に掲載されている「青い槍の葉」という作品の一節です。
青い槍の葉とは、稲や萱の葉先の様子を槍にたとえた賢治さんの表現。槍の葉が列をなしているある日の田んぼの風景です。
そしてたうとう秋になりましたが、やっぱり栗の木は青いからのいがばかりでしたし、みんなでふだんたべるいちばん大切なオリザといふ穀物も、一つぶもできませんでした。
(「グスコーブドリの伝記」)
作品の主人公グスコーブドリの生まれ育ったところでは、人はずっと飢饉に苦しめられていました。オリザとは、そこで暮らす人たちの主食なのでしょう。
この「オリザ」、栽培稲の学名 Oriza stiva からとったものだと思われます。それならこれはお米のことです。私たちに身近なお米も、こんな風にカタカナで「オリザ」と呼ぶと、まるで別の食べ物のようですね。読者を物語世界の「ここではないどこか」、「今ではないいつか」につれていくための賢治さんの演出でもあると思います。
陸羽一三二号のはうね
あれはずいぶん上手に行った
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育っている
(「あすこの田はねえ」)
賢治さんは1926(大正15)年からの羅須地人協会時代には、石鳥谷など近郊の農家に無料で肥料設計や稲作相談を行っていました。適した肥料を考えたり、肥料をやる時期や量、稲の成育状態や水田それぞれの様子などをていねいにみてまわったりしたそうです。そのころ賢治さんが奨めた品種が陸羽132号でした。作品に登場させるほどにこの稲に力をいれていたのでしょう。
機会があれば、賢治さんの本を片手に花巻の田園風景の中をおさんぽするのもおすすめです。おひさまがあたたかかったり、風がきもちよかったり、それから虹が見えたらラッキーです。四季を通していろんな表情の風景と出会えます。
ちなみに花巻では「ひとめぼれ」「銀河のしずく」などの銘柄のお米が多く作られています。
■もこもこ ふさふさ 雑穀畑
花巻の田園風景をながめていると、稲とは違う様子の「なにか」が突然目に飛び込んでくることがあります。例えば秋の夕暮れ、私が花巻南温泉郷行きのバスからぼんやり外をながめていたら、窓の向こうで頭を垂らした巨大なねこじゃらしがたくさんゆれていました。稲よりもふさふさで、もこもこです。それは粟や稗の畑でした。
それもそのはず、花巻市は全国有数の雑穀の産地。稗(ひえ)・粟(あわ)・黍(きび)・アマランサス・たかきびなど、さまざまな種類の雑穀が作られているのです。
雑穀とは主に「稗・ひえ」「粟・あわ」「黍・きび」などのイネ科の小さな実をつける作物の総称です。それよりもうすこし大きな実をつける「はと麦」「たかきび」や、イネ科ではないけれど同じく小さな実をつける「アマランサス」も大きなくくりで雑穀と呼ばれています。
■雑穀いろいろ
雑穀を食べた事はありますか? それぞれが味わい深い雑穀を簡単にご紹介します。
稗(ひえ)は、寒さや干ばつ、病害虫にも強く、作物がなかなか育たないやせた土地で栽培されてきた作物です。花巻でもたくさん作られています。少し濁った白い色の粒で、炊くと少しぼそぼそしていますが、食べるとさらっとした食感で淡白な味です。
粟(あわ)は、淡い黄色の粒。稗よりもちもちした食感で、くせのない味です。うるち系ともち系があり、もち粟は団子や餅が作れます。沖縄の泡盛(あわもり)は、もともとは粟から作ったのでその名がついたといわれています。
黍(きび)は、昔話の「ももたろう」の黍団子で知っている人も多いでしょう。食感も味もふわっと軽いです。
アマランサスは、雑穀の中でも一番粒が小さく、炊くとプチプチして見た目も食感もまるでタラコ。カルシウムやマグネシウムなど栄養面が優れています。
はと麦は、お肌にいいと最近注目されています。利尿、滋養強壮にいいとして漢方薬としても用いられています。白くて大きな粒は炊くともちっと歯ごたえがあります。
たかきびは、高粱(こうりゃん)とも呼ばれる赤褐色の粒です。粉にして団子の材料にしたり、粒のまま炊くとひき肉のような色と食感です。
花巻では雑穀をつかったお料理やお菓子が市内のレストランや食堂、カフェ、ベーカリー、ケーキ店、温泉・・・いろんな場所で味わうことができます。
稗焼酎「稗造君」や、「稗カレー」をつかった創作料理やラーメンやパンなど、花巻に来ないと味わえない、手に入らない食べ物もたくさん。豊富な雑穀メニューをぜひ味わいに来てください。
■畑の恵みを探しに 花巻の農の風景8
賢治さんに想いを馳せながら、畑に会いに行きました
夏真っ盛りの7月下旬、花巻市太田地区にあるプロ農夢花巻の雑穀畑を見学させていただきました。お会いしたのはプロ農夢花巻事業本部の高橋一矢さん(営業課課長)。
待ち合わせの場所は粟の畑。緑の葉がおひさまの光を受けてつやつやと光っていました。畑には高橋さんのほかに数名の方が、かがんで何か作業をされています。しばらくすると遠くから大きな車が2台やってきて畑の前にとまり、人がぞろぞろ出てきました。
「これから社員総出で草取りなんです」と高橋さん。そして高橋さんも畑に入っていかれました。
プロ農夢花巻では粟・稗・黍・はと麦・アマランサスなど、十種類以上の雑穀や古代米をできるだけ農薬や化学肥料に頼らず育てています。それで雑穀畑の草取りはすべて手で行います。草取りだけではありません。雑穀の畑では機械がつかえるのはほんの一部の雑穀のみ。苗を植えたり、移植したり、そして刈りとりまで、ほとんどを手作業で行っているそうです。
だからこれからはじまる草取りも一人ひとりが畑に出て草を抜いて行くというわけなのでした。かなり大変な作業です。この日はとても蒸し暑くて、こうして取材をして草取りの様子を見ているだけなのが大変申し訳ないくらいでした。質も量も全国でトップクラスの花巻の雑穀は、人が手をかけていくからこそ。あの雑穀の小さなつぶつぶの中には人の手間が惜しみなく入っているのです。
◆プロ農夢花巻ホームページ
雑穀の紹介、レシピなどが掲載されています。
■森と人と雑穀と・・・
賢治さんの作品に登場する雑穀たち。お米と同じく、そこには花巻の田園風景を思い浮かべることのできる美しいシーンがあらわれます。
今回の一番はじめの写真のところで紹介している童話「鹿踊のはじまり」では、主人公・嘉十(かじゅう)は畑で粟や稗を作っています。そして嘉十が、野原で食べていたのは栃と粟の団子です。「雪渡り」には雪野原になった黍の畑と、黍団子がでてきます。
そんな中、今回詳しくご紹介するのは「狼森と笊森、盗森(おいのもりとざるもり、ぬすともり)」です。自然と人が恵みを分かち合いながら暮らしていた時代のおはなしです。
物語は、あるとき岩手山の麓に四人の百姓たちがやってきたところからはじまります。
そこで四人(よつたり)の男たちは、てんでにすきな方へ向いて、声を揃えて叫びました。
「こゝへ畑起こしてもいゝかあ。」
「いゝぞお。」森が一斉にこたへました。
人間は森から了承をもらい、そこでくらしはじめます。畑を起こし、最初の春には蕎麦と稗をまき、次の春には粟や稗が育っています。人が集まり、子どもが生まれ、だんだんと人間社会ができていくなかで、森は冬の間、人間たちを北からの風を防いでやったりするのです。
物語の後半は、粟餅が一つのキーワードになります。
ある日、子どもたちが狼森の狼(おいの)たちに連れ去られてしまい、そのあと無事に子どもたちが見つかると、人間たちは森へお礼に粟餅をもっていきます。すると今度は収穫した粟がすっかりなくなってしまうという事件が起こったのです。実はそれは盗森のしわざでした。盗森は自分で粟餅を作ってみたくてしかたなかったのです。このあとこの事件は無事解決するのですが・・・そのおおらかさ!ぜひ作品を読んでみてくださいね。
雑穀が登場する賢治さんの作品は、自然と人間とのかかわりから生まれる豊かさを教えてくれているように思います。私たちは人間中心に世界が回っているような錯覚につい陥りがちですが、「狼森と笊森、盗森」のように自然からの声にもっと耳を傾けて、自然と人が「いいかあ」「いいぞう」と呼び合あえるシンプルな付き合いを、今こそ思い出したいものですね。
■「雑」って・・・
楽しくて おいしくて 美しいのかも!?
花巻をはじめ東北では、雑穀は昔から人の命を支えてきた穀物です。それゆえに米のないときに食べられてきたものとして貧相なイメージももたれてきました。
けれども日本列島では雑穀と人のつきあいは大変古いのです。約5000年前の縄文時代から栽培されてきたことが遺跡や石器からわかってきています。一方、稲作が大陸から伝わったのは、今から約3500年前といわれ、つまり雑穀は稲よりおよそ1500年も前から食べられてきたのです。
たしかに冷えるとぼそぼそした食感になる雑穀と比べ、米は冷えてもねばりがあり、味も優れています。だから時代が進むうちお米が主食となっていったのもわかります。もちろん私もお米のごはんは大好き。でも「雑穀」を知るうち「雑」が気になってきたのです。これは米「以外」ということなのでしょうか? それではあまりに米が偉そうで、上から目線な印象ですが・・・。
21世紀の現代。雑穀は健康ブームやスローフード運動などで、その栄養面や効用が優れていると注目されるようになりました。雑穀それぞれの味わいを楽しむ人も増えました。かつての代用食の時代とは異なる立場になった雑穀です。いろんなたべものの中から好きなものを選ぶことができ、たっぷりと食べられる現代だからこそ、今度は、雑穀は選ばれ、食べられています。
だからこそ・・・雑穀の「雑」は米とはまた違っておいしいもの、価値のあるもの、いろいろある・違う・異なる、だからいい。そんな「雑」としてとらえられてもいいのかもしれません。多面的で、多文化共生的な意味としての「雑」として受け取ると、雑穀と人とのつきあいかたがますますおもしろく感じられます。
雑穀と私たちとの長い歴史をふりかえってみれば、縄文時代の狩猟をしながら周りの自然の恵みを得ていた時代と、稲作文化から花開いていった中央集権的なその後の歴史。縄文と弥生。雑穀と米。善し悪しではなくて、争うわけでもなくて、対極だけど、だからこそそれぞれに大切なものが含まれているような気がするのです。
こんな風に「雑」の意味合いに広がりをもたせてみる。例えばそんな視点が、賢治さんの作品のなかにある豊かさに気付かせてくれます。
■第3回 そろそろ閉店のお時間です
第2回の最後でふれた「自分の生まれ育って来た場所にこそあるもの」のこと。そのひとつは東北の厳しい環境を生き延びてきた人たち、先人の食の智慧ではないかと思います。
東北の食文化を切り口に賢治さんの作品を眺めると、賢治さん自身と、その作品世界が持つ底力とおおらかさを感じることができます。それは花巻をはじめ、東北という場所のもつ底力とおおらかさでもあるのでしょう。私にとってそのことに気付かせてくれるひとつの入口が、お米や雑穀、田園風景が登場する賢治さんのおはなしでした。
東北の飢饉について今回あまり触れることができませんでしたが、先人の智慧とは、これまでに起こったあらゆることを受け入れ、飢饉やさまざまな災害から生き抜くための想いや願い、祈りが込められたもの。そして生きるために産み出された命の糧だと思います。
私たちがあたり前にいただいているおいしいものたちのなかに、あたり前でないそれぞれの物語が隠れています。
だからこそ穀物をはじめ食べ物が育ち、そして豊かに実る風景には、作る人と食べる人の感謝とよろこびであふれています。同じように賢治さんが紡いだ言葉と、その作品世界から知る食べ物にも、これからのみんなの未来の力になるエッセンスがつまっている、そんな風に思います。
第3回もお召し上がりいただきまして誠にありがとうございました。
レストランは第4回へとつづきます。またのご来店お待ち申し上げております。
※賢治作品の引用は『宮沢賢治全集 1~10』(ちくま文庫)に拠りました。
ただし旧かなづかい等、一部改めて載せている点、ご了承ください。