まきまき花巻行きたい農泊徳さんへ、おかえりなさい
農泊徳さんへ、おかえりなさい
174 まき
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私は神奈川県の横浜市で、大学卒業までの22年間を過ごした。
しかし、私には岩手県東和町に、帰るべきもう一つの実家がある。

今年の3月で、いったんの区切りを迎えた2年間の岩手生活。
土日の2日間にかけて行われる東和農旅の「おもしろ東和学」ツアーに参加するとき。朝の5時から始まる味噌の天地返しを手伝いに行くとき。あるいは、雪の降り積もる中、土沢商店街で遅くまで飲んで、帰りの釜石線がなくなってしまったとき。
そんなときいつも温かく迎えてくれたのが、菅野徳主さん・和さんご夫妻のお宅だ。

その菅野さんご夫妻が、「農泊徳さん」として、新しい一歩を踏み出した。

昨今話題の民泊新法に基づく届出がこの度受理され、外からのお客さんを対象に民泊事業を行う農家として正式にスタートしたのである。

 

土沢駅から猿ケ石川を渡り、国道を外れた道を奥へ奥へと車を走らせる。夏には蛍の光、冬には雪の明かりで満ち満ちになる静かな小道を抜けた先に、まだ立てられたばかりの手作りの看板が立つ。
家主の菅野徳主さんが伐採ヒバから作り上げたという、丹精の込められた看板だ。

看板の矢印に誘われるままに進むと、みずみずしい赤と緑がぎゅっと詰まった、小さな産地直売所が玄関で待っていてくれる。
こんな東和の恵みを「ご自由にお持ちください」とは、何たる贅沢だろう。

そういえば私も、ある冬の朝、袋いっぱいの白菜を

「持ってがないか?」

ともらって帰ったこともあったっけ―。


玄関を抜けて中に入ると、整った畳の居間に、隣には寝室。
まるでふるさとに帰ってきたかのように、ほっとした気持ちにさせてくれる。

いったん寝室に荷物を置いてふうっと一息つくと、トントン、トントンとどこからともなく音が聞こえてくる。キュウリを切る音だろうか。
キッチンを覗くと、東和のありったけを詰め込んだごちそう、ごちそう。

採れたての真っ赤なミニトマト、お漬物、梅干し、ぴかぴかのご飯。
これは、東和ではごくごく当たり前の農家の食卓なのかもしれない。
でも、近くに畑も緑もない都会では、食べられっこない。こんなあったかいご飯が食べられるのは、豊かな自然と人の温かみに恵まれた、東和ならではなのだ。


時にはお母さん方のお茶っこに、時にはお父さん方の酒っこに。
その時おりの「わいわい」と笑顔で、この場所は満たされる。

でも、一番輝くのは、みんなをもてなす時の和さんの笑顔。
そんな和さんは、「農泊徳さん」に泊まりに来たお客さんに、東和の田舎料理の作り方も教えてくれるという。

わらび、みず、ふき。あるいは、裏の畑のトマト、ピーマン、ナス。そのとき採れた、そのときならではの東和食材で。何を教えてくれるのかは、行ってみてのお楽しみだ。

もっと東和を知りたい。もっと東和らしいことがしたい。

そう思った旅人には、徳さんならではの体験メニューも用意されている。

お餅、赤飯、煮しめ、手打ち蕎麦といった郷土食づくり。

きりせんしょ、がんづき、串だんごといった東和のこびりづくり。

ゆず、ピーマン、梅、ニンニク、ばっけ、山椒…色とりどりの味噌の仕込み。

食べ物だけではない。近くの谷内伝承工房館に行けば、お手玉、ゴムでっぽう、竹とんぼ、ぶんぶん独楽といった昔遊びのおもちゃづくりを、その道の達人が教えてくれる。

 

便利になった世の中で、いつも慌ただしく駆け回って。その中で忘れかけていた何かが、心の中によみがえってくるようだ。

 


実家に帰った時のようにゆったりしたひと時は、こうしてあっという間に過ぎていく。
その翌朝は、「じゃあね」ではない。「行ってきます」と、また帰ってくるからねという想いを込めて、誰もがこの場所を後にすることだろう。

「農泊徳さん」として開業するずっと前から、私が東和の実家だと思っていたこの場所。
それがみんなにとっての実家になるということは、嬉しいようで。でも、自分だけの場所が自分だけの場所でなくなるようで、ちょっぴり寂しいようでー。

しかし、誰かに会いたくても会えない、分断されがちな世の中だからこそ、誰もが「帰りたい」と思える、想いを馳せることのできるこうした場所は、よりいっそう大切な存在になる。



辿り着くまでの小道の風景や軒先に並ぶ野菜は、季節によってがらりと変わる。しかし、菅野さんご夫妻の温かさは、夏でも冬でも変わらない。
一度ここを訪れた旅人は、いつの間にか町人となり、再びこの場所へと帰ってくることだろう。

私が書きました
まっちー

神奈川県横浜市出身、26歳。2年間の期限付きで、2018年4月から2020年3月まで岩手県に出向。現在は東京在住。ご縁あって花巻市、中でも東和町の大ファンに。