まきまき花巻味わいたい宮沢賢治の花巻レストラン4          「野原の菓子屋のとっておき」
宮沢賢治の花巻レストラン4          「野原の菓子屋のとっておき」
125 まき
このエントリーをはてなブックマークに追加

 お米・雑穀・野菜・くだもの・畜産・酪農・お花・・・花巻の農の風景の中で育っているさまざまなおいしいもの。そしてそんな花巻をふるさとにもつ宮沢賢治の作品世界や食のエピソードから味わうことのできる、花巻のしゃれたエッセンスと、ゆるゆるした明るい時間。

 知っているようで、知らないような。食べたことがないようで、あるような。そんな「花巻の農と食」×「宮沢賢治」が織りなす時空を超えたレストラン。どうぞごゆっくりお召し上がりください。

二人はりんごを大切にポケットにしまいました。川下の向こう岸に青く茂った大きな林が見え、その枝には熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい……(「銀河鉄道の夜」)写真は宇津宮果樹園で

■花巻はフルーツパラダイス!?

 おこしいただきありがとうございます。

 第4回は花巻の果樹、中でもりんごやぶどうに想いを馳せて、賢治さんの作品世界を散策します。

 秋から冬のはじめにかけて花巻には、りんごや洋ナシ、ぶどう、プルーンなどあちらこちら「花巻産」と記された果物でいっぱいです。スーパーや産直の売り場はもちろんのこと、花巻の田園風景の中にもたわわに実る果物の姿をたくさん「目撃」できます。それは普段、関西で暮らしている私にとって大変な「事件」なのです。

 なぜなら私、岩手に来るまで目の前でりんごやぶどうの実る姿を実際に見たことがなかったからです。それが花巻ではバスや車で田園風景の中を走ると当たり前にひょいとあらわれるのですから。それで「わ、りんごが実っている」「あ、ぶどう棚がたくさん!」と果物の実る風景には驚いてばかりです。そんな風景を眺められるのも生産者のみなさんが愛情を注ぎ手間をかけて育てておられるからこそ。第1回でも述べたように、それらがみんな当たり前にあるのが花巻の贅沢~果物たちを通してまた思うのでありました。

■野原の菓子屋へいらっしゃい

 今回のタイトルにあげた「野原の菓子屋」。これは賢治さんの作品「銀河鉄道の夜」に出てきます。

 銀河鉄道の車内で主人公のジョバンニは、銀河で鷺や雁、鶴を捕る鳥捕りと出会います。ジョバンニは鳥捕りからその雁をすこしもらって一口食べました。すると(なんだこいつはやっぱりお菓子だ)と思い、さらにぽくぽくと食べながらこんなことを思います。

 

 この男は、どこかそこらの野原の菓子屋だ。けれどもぼくは、このひとをばかにしながら、この人のお菓子をたべているのは、大へん気の毒だ。 (「銀河鉄道の夜」)

 

 ジョバンニによると、この鳥捕りからもらったたべものは「チョコレートよりもっとおいしい」らしいのです。チョコレートが大好きな私にとってはなんともうらやましい限り。

 ところで菓子の「菓」。くさかんむりをとれば果実の「果」です。

 この二つの漢字は、語源をたどればもともとは同じ意味を持ち、「菓子」は漢語で果物を意味するようです。また、お菓子の歴史の中では、まだ砂糖のない昔々は果物やはちみつが貴重な甘味でした。つまり本来、菓子と果物に区別はなかったのです。

 時代がすすみ、砂糖を用いた甘いものがさまざまに作られるようになると、それが「菓子」とよばれ、果物は区別されるようになっていきました。江戸時代の日本では果物は、菓子と区別するため「水菓子」と呼ばれていたそうです。水=果物のジューシーさなのでしょうか。

 そんな菓子と果物の歴史を知ると、野原の菓子屋には「お菓子な果実」もあるのではと思うのです(それもおそらくチョコレートよりもっとおいしいのでしょうね)。

苹果(りんご)だってお菓子だってかすが少しもありませんからみんなそのひとそのひとによってちがったわづかのいいかをりになって毛あなからちらけてしまうのです。(「銀河鉄道の夜」)写真は宇津宮果樹園で

■銀河鉄道沿線の立派なりんごたち

「銀河鉄道の夜」の銀河鉄道の沿線にはりんごの畑があるようです。

 物語の後半、カムパネルラが「何だか苹果(りんご)の匂(におい)がする」といい、ジョバンニも確かに香っていることに気づきます。そして二人は同乗している燈台看守から「黄金(きん)と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果」をもらいます。どうやら銀河鉄道沿線では大きくて立派な苹果が収穫されているようなのです。

 そして途中から乗ってきた乗客の一人、6つくらいの男の子はそのりんごを「まるでパイを食べるように」味わいます。

 賢治さんは「銀河鉄道の夜」をはじめ作品のなかでりんごを「苹果」としてよく登場させています。現在ではりんごは漢字で書くと「林檎」。ところが賢治さんの時代は「苹果」は西洋りんごのことを指し、林檎は西洋りんごが入ってくる前から日本にあった在来の和りんごのことを指していました。つまり銀河鉄道沿線でとれる大きくて立派なりんごは、西洋りんごの系統なのです。

 現在の私たちが食べているのもほとんどが西洋りんごです。時代が変わって苹果が「林檎」になりました。

 「銀河鉄道の夜」のりんご登場シーンはまるで行間からりんごの香りが漂ってくるかのようです。花巻のあちらこちらで出会えるりんご畑で、銀河鉄道の沿線風景も探してみませんか。

◆畑の恵みを探しに 花巻の農の風景9

賢治さんに想いを馳せながら、畑に会いに行きました

 園主の宇津宮邦昭さんに案内にいただいた山の斜面には約4000本、40種類のりんごの木が植えられていました。山の斜面いっぱいにりんごが実ったら絵本の一場面みたいだなと想像をふくらませていたところ、りんごの品種によってすこしずつ収穫の時期が違うので、一面りんごが実るわけではありませんよ、とのこと。考えてみればそりゃそうか、の大きな勘違いが恥ずかしくなりました。しかし、恋空、つがる、きおう、さんさ、紅いわて、シナノドルチェ、はるか……教えていただいたりんごの名前はどれもがまるで物語のタイトルのようでした。

 りんごの収穫は8月のお盆ごろから始まり12月の初めごろまで続きます。品種でいえば<「恋空」ではじまり「はるか」でおわる>のだそう(これもまた小説のタイトルのようです)。

 その日は数名の方が斜面をのぼりながら、一つひとつの実を回す作業をされていました。りんごの実がきれいに色づくようにまんべんなくおひさまにあてるためだそうです。りんごは葉を摘んでしまうと甘くならないのだそうです。それで葉摘みを最小限にして葉っぱの力を生かすよう工夫しておられるとのこと。その分、実を回す作業が必要になるのです。そしてこの秋の実りをむかえるためにも樹の剪定や肥料やり、摘果などりんご作りには1年を通して大変な手間がかけられます。収穫したばかりの紅いわてをいただきました。じわっと甘くてほんのり酸っぱくていい香りがします。このりんごひとつにも人の手がたくさんかけられているんだと思いました。

 現在、宇津宮さんは花巻の若手りんご生産者グループ会長をはじめ、THE RINGO STARという若手りんご生産者とグループを立ち上げ、花巻のりんごを全国に紹介する活動や、市内の保育園・幼稚園でこどもたちにりんご教室を開くなど、次世代へりんごを伝える活動もされています。

 宇津宮さんからは大学時代に一度花巻を離れ、再び戻ってきたときこの場所の素晴らしさに改めて気づかされたというおはなしも伺いました。この場所を守りくらしてきた先輩たちが残してくれた自然へ感謝でいっぱいになったそうです。そして締めくくりに「農業をとおして当たり前のものが、当たり前でないことに気づかされるんだよ」とおっしゃった一言に、りんごやこの土地、そして次世代に伝え残していく活動への想いを感じました。

◆宇津宮果樹園

岩手県花巻市石鳥谷町滝田17-9

http://ringoyasan.sakura.ne.jp/

 

◆THE RINGO STAR

JAいわて花巻 若手りんご生産者グループ「リンゴスター」 

JAいわて花巻「花巻のりんご」紹介ページ

https://www.jahanamaki.or.jp/ringo/index.html

 

■りんごは賢治さんのとっておき

 「銀河鉄道の夜」をはじめ賢治さんの作品には、苹果(「風景とオルゴール」「苹果青に熟し」「まなづるとダァリヤ」ほか)、りんご(「真空溶媒」「双子の星」ほか)、青りんご(「歌稿209」)、青いりんご(「紫紺染めについて」)、赤い苹果(「盛岡停車場」)、巨きな水素のりんご(「青森挽歌」)、海りんご(「古びた水いろの薄明穹のなかに」)などいろいろなりんごが登場しています。そして「今は、空は、りんごのいい匂(におい)で一杯です。」(「双子の星」)のように、りんごの香りを行間に漂わせている作品や比喩で使われていることも多いです。

 賢治さん自身にもりんごに関するとても楽しいエピソードがあります。

 「賢治はリンゴが好きでよく食べられましたが、味覚を楽しむというよりは、あの果実の新鮮さにかぶりつくというような食べ方をしていました」

(『賢治随聞』関登久也)

 そして目の前でたちまちのうちに皮のまま大きなリンゴを三つも食べてしまった賢治さんを見て、関氏はただ驚くしかなかったというのです。

 また、花巻農学校の教師時代の賢治さんは同僚と花巻の町を歩いているとき、りんごを食べましょうとすすめ、一緒に歩きながら食べたといいます。

 北上川のほとりで小舟の上からりんごを水に落としながらながめていたエピソードは素敵です。賢治さんは「きれいだー、きれいだー」と何度もりんごを水に落としながめていたそうです。賢治さんはりんごに、食べものとして以上の魅力を持っていたのだろうなあと、そんな様子が伝わってきます。

 物語の中でも自身のエピソードの中でも、賢治さんのりんごは不思議で魅力的な光と香りを放っています。

■シュワシュワ花巻~サイダーとシードル

 「ブッシュへ行こう」花巻農学校の教師時代の賢治さんには、同僚といっしょにそば屋の「やぶ屋」にでかけるエピソードが残っています。

 やぶ屋は大正12年に開店のそば店です。賢治さんはまだ店が新しいころ通っていたと思われます。やぶ=藪=ブッシュ(英語で藪のこと)と声をかけてでかける様子はハイカラで新しもの好きですね。

 やぶ屋で注文したのは天ぷらそばとサイダー。当時のやぶ屋では天ぷらそばは15銭、サイダーは123銭だったといいますから、現在の感覚では天ぷらそばよりサイダーはずいぶん高級な飲み物です。

 日本ではサイダーは炭酸水に酸味や甘味を加えた清涼飲料水として呼ばれていますが、もともとのサイダーの由来はりんご酒。賢治さんの作品でも詩「厨川停車場」で

 

けむりはビール瓶のかけらなのに、

それらは苹果酒でいっぱいだ。

 この苹果酒のところに「サイダー」とルビがふられています。

 りんご酒は、りんご果汁を発酵させて作ったお酒です。これを英語でサイダー、フランス語でシードル(cidre)と呼びます。主にフランスのノルマンディ地方やイギリス、ドイツなどで作られています。日本でも最近ではアルコール、ノンアルコールそれぞれのシードルをよく見かけるようになりました。

 そしてそんなシードルがここ近年、花巻でも身近になってきたのをご存知ですか?

 花巻は平成2811月に、花巻クラフトワイン・シードル特区として内閣府より認定されました。この認定により花巻では地域で生産したりんご、ぶどう、西洋梨、ブルーベリー、梅の5種類を原料をする果実酒を製造する場合に製造数量などの基準が緩和されるので、今後、花巻で小規模で生産されたシードルや果実酒を味わえる機会が増えるかも……と期待してます。

 「賢治シードル」などがでてきたら、賢治ファンの私としては複雑な気持ちになりますが、サイダーが好きだった賢治さんのふるさとで作られる地産地消シードルには興味津々です。天ぷらそばにもあうでしょうか!? 

◆畑の恵みを探しに 花巻の農の風景10

賢治さんに想いを馳せながら、畑に会いに行きました

 マルカンビルの1階のお店で花巻のりんごを使ったノンアルコールのシードルを見つけました。紅玉、ジョナゴールド、ふじの3つの味があります。そのかわいいラベルと瓶にもひとめぼれ。早速いただくとシュワッと心地よい炭酸と、りんごの風味がふわっと口の中にひろがります。3種類それぞれりんごの味が違うのがまた楽しい。

 製造者の社会福祉法人悠和会さんに、取材でお邪魔しました。

 シードル作りのきっかけは、高齢でこれ以上続けていくのが難しいと近隣のりんご園主から相談を受けたことだったそうです。担い手のいない農家と、障がい者の多様な仕事作りに取り組む会がマッチングし、地域の人と物が生み出す新しい付加価値が生まれました。シードルは県工業技術センターと共同で技術開発を行い、特許技術を取得しています。こうして人の手と技術によって花巻で育ったりんごは無添加で果汁100%のノンアルコールシードルに。この取り組みは東北の社会福祉法人としては初の6次産業化・地産地消法に基づく総合化事業認定を受けました。

 事務長の高橋和也さんからの「仕事作りをすることも仕事です」という一言が印象に残りました。地域のお年寄りの方たちと一緒に農作業をしながら地域でくらしていくこと、そして障がいを持っている人も地域にとってなくてはならない存在になっていくこと、そんな人と地域とくらしが一緒になり、協力して作られていくものには力があると思います。届いた先の人を元気にしたり笑顔にする美味しい力です。

 ちょうど実りの秋、黄金色の田んぼにも案内いただきました。そこは車いすでも入って作業ができるように畝の段差を少なくしてありました。一人ひとりの持っている力を生かすため一緒にくらしを作っていくこと、協力することが大切にされているひとつの形がそこにもありました。

 たんに物を作るだけでなく、人と人がまじわりつながっていくことの大切さ、すばらしさをシードルが教えてくれました。

◆社会福祉法人 悠和会

岩手県花巻市幸田4-116-1

0198-32-1788

http://www.farmtotable-ginga.com/index.html

 

■ブドウと賢治さん

 りんごと同じく花巻ではぶどうのある風景にも出会えます。花巻で作られたぶどうからは、ワインも作られています。そして第2回で紹介した花巻黒ぶだう牛も花巻のぶどうとかかわりの深いお肉です。

 賢治さんのおはなしに、ぶどうは「葡萄」として「種山ケ原」「ビジテリアン大祭」などに登場しています。「風の又三郎」では九月五日のシーンに葡萄とりにでかける様子が書かれています。また「葡萄水」や「ポランの広場 第二幕」では葡萄水が登場しています。

葡萄水とはぶどうを絞ったジュースのことです。これを発酵させると葡萄酒になります。おはなしでは「特製葡萄水」なんて言っていますが……。

 早池峰山を巨きな(おおきな)お菓子の塔にたとえた「山の晨明に関する童話風の構想」では、山に生えているこめつがの様子を「さきにはみんな大きな乾葡萄がついている」とたとえていて、乾葡萄には「レジン」というルビがついています。干しぶどうをわざわざレーズンと呼ぶところが賢治さんらしいなと思います。

 「黒ぶだう」では仔牛と狐が食べている「立派な二房の黒ぶだう」。狐のせりふによると、その黒ぶどうは、蜂蜜やそばの花の匂いがするようです。これは想像するだけでふくよかな印象です(実は私はそばの花の香りを嗅いだことがありません。いつか香ってみたいです)。

 賢治さんの作品にあらわれる様々なぶどうたち。ぶとうとワインと干しぶどう……今の花巻でも同様に味わえますね。

どこからか葡萄のかをりがながれてくる (「種山ケ原」)写真は佐藤ぶどう園で

■畑の恵みを探しに 花巻の農の風景11

賢治さんに想いを馳せながら、畑に会いに行きました

 

 賢治ファンの友人から「このパッケージの名前がいいよね!」とぶどうの差し入れをもらったことがありました。赤いぶどうのはいった箱に「イーハブドリ」と書かれていました。この賢治さんっぽい名前をおしゃべりのきっかけにして、大好きな花巻で大好きな賢治さんのことを語り合いながら友人とぶどうをいただいた楽しい思い出があります。

 今回取材にお伺いした佐藤ぶどう園は、まさにそのイーハブドリをつくっている生産者さんでした。代表の佐藤秀明さんを訪ねた9月がちょうどぶどうの最盛期。集荷場ではぶどうを詰める作業で忙しくされていました。イーハブドリのパッケージもたくさん並んでいます。

 イーハブドリは花巻地域で作られているの大粒のぶどうで、紅伊豆などの人気品種があります。佐藤さんたち若手生産者5名で30数年前、当時は小粒が主流だった時代に先駆けて、この大粒のぶどうをこの花巻の地域に取り入れ、栽培研究をしながら生産仲間も増やしていかれたとのこと。

しかしぶどう作りは順風満帆だったわけではなく、とくに最初の約5年間は木の冬枯れや、天候に左右されなかなか結果が出ず、数々の問題を乗り越え安定した生産が行えるようになるまでには数年かかったそうです。

 

案内されたぶどう棚はとても広くて明るくて、アキクイーンという大粒の赤いぶどうがたわわに実っていました。

現在10種にも及ぶぶどうを作っておられる佐藤さんのぶどう園では、ぶどうの一枝一房に手をかけて接しておられます。それは生産量を上げることの対極で非常に根気と手間のかかる作業です。だからこそどの房にもぱんぱんに膨らんだみずみずしい粒がぎっしり。ずっとむこうの棚まで実っているぶどうたちは美しく、まるで赤い雲がもくもく浮かんでいるようにも見えて、その様子は荘厳でさえありました。

農園の見学のあとには、息子の徹さんから加工品のブドウジュースと干しぶどうについてのお話を伺いました。一房そのままの形で作られる大粒の干しぶどうは糖度が高くブドウらしい酸味やジューシーさも残っていて、これまで食べたことのある干しぶどうとは全然違っていました。徹さんからの「プライドを持って作っています。大切にしてくれる人の手にわたってほしいです」ということばに、先ほど代表からみせていただいた美しいぶどう棚の様子が重なりました。

◆佐藤ぶどう園

http://www.sav.ne.jp/index.html

 

■第4回そろそろ閉店のお時間です

りんごとぶどうを中心に紹介してきた今回のレストランですが、ほかにも賢治さんの作品の中にはバナナ(「飢餓陣営」)、ばらの実(「貝の火」)、杏(あんず)の実(「雁の童子」)、苺(「『旅人のはなし』から」)などいろいろな果物が実っています。

そしてこの回の最初に紹介した「銀河鉄道の夜」の車内で香ってきたりんごと野茨の香りをはじめ、物語の中からいい香りを届けてくれる果物もたくさん。それは花巻が舞台のものも多いのです。

 

『どうだ、やっぱりやまなしだよ、よく熟している、いい匂ひだろう。』

『おいしそうだね、お父さん』

『待て待て、もう二日ばかり待つとね、こいつは下へ沈んで来る、それからひとりでにおいしいお酒ができるから、さあ、もう帰って寝よう、おいで』

(「やまなし」)

 

ここはこけももとはなさくうめばちそう

かすかな岩の輻射もあれば

雲のレモンのにほひもする

(「早池峰山巓」)

 

林のなかは浅黄いろで、肉桂(にくけい)のようなにほひでいつぱいでした。

(「かしはばやしの夜」)

つつましく肩をすぼめた停車場と

新開地風の飲食店

ガラス障子はありふれてでこぼこ

わらぢやsun-maidのから函や

夏みかんのあかるいにほひ

(「小岩井農場」)

 賢治さんの作品に登場する香りのある風景を挙げてみました。その香りを思うと、いったことないところでもそこがどんなところか頭にぼんやりと浮かんでくるような……そんな気持ちになりますね。ちなみにこの回で挙げた作品の中の旧かなづかいは読みやすいように改めていますが、「匂ひ」「にほひ」「かをり」だけはそのままにしています。この字面自体が独特の香りを放っているそんな印象だからです。

 賢治さんの時代とは変わってしまった現代ですが、今でも花巻の郊外を歩けば、やまなしのあるところや、早池峰山、林や森の中など、四季それぞれに賢治さんを感じられる風景と香りたちが待ってくれています。

 今回、偶然とは思えないほどに、お世話になったどの生産者の方からも、手間をかけることを惜しまないこと、お互いに協力していくこと、日常の当たり前は当たり前でないこと、感謝することのお話を伺い、教わりました。

 それはまた賢治さんの作品世界を通して感じる思いとつながるところもあり、果物のみずみずしさや明るさ、おいしさはこうやって作り出されているんだと納得する部分でもありました。収穫の繁忙期にもかかわらず、快く取材に応じていただいた皆様に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

きしゃは銀河系の玲瓏(れいろう)レンズ/巨きな水素のりんごのなかをかけている(「青森挽歌」)写真は宇津宮果樹園で

 

4回もお召し上がりいただきまして誠にありがとうございました。

レストランは第5回へとつづきます。またのご来店お待ち申し上げております。

 

※賢治作品の引用は『宮沢賢治全集 1~10』(ちくま文庫)に拠りました。

ただし旧かなづかい等、一部改めて載せている点、ご了承ください。

私が書きました
中野由貴

花巻と宮沢賢治ファンの料理研究家
絵本・童話・食・宮沢賢治をテーマに創作、研究、執筆などを行っています。
著書に『宮澤賢治のレストラン』『宮澤賢治お菓子な国』(平凡社)、『にっぽんたねとりハンドブック』(共著・現代書館)ほか。
宮沢賢治学会会員、希望郷いわて文化大使。兵庫県在住。
花巻市民ではありませんが、イーハトーブ花巻出張所@兵庫(勝手に命名)から参加させていただきます。どうぞよろしくお願いします。