まきまき花巻行きたい宮沢賢治の花巻レストラン2「野原と畑の晩餐会」
宮沢賢治の花巻レストラン2「野原と畑の晩餐会」
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お米・雑穀・野菜・くだもの・畜産・酪農・お花・・・花巻の農の風景の中で育っているさまざまなおいしいもの。そしてそんな花巻をふるさとにもつ宮沢賢治の作品世界や食のエピソードから味わうことのできる、花巻のしゃれたエッセンスと、ゆるゆるした明るい時間。知っているようで、知らないような。食べたことがないようで、あるような。そんな「花巻の農と食」×「宮沢賢治」が織りなす時空を超えたレストラン。どうぞごゆっくりお召し上がりください。

 おこしいただきありがとうございます。

 第2回は、賢治さんの作品に登場する西洋料理やレストランに想いを馳せて、花巻ブランドのお肉やチーズをご用意しました。

 

とにかくみんなは山男をすぐ食堂に案内しました。そして一緒に腰かけました。

(「紫紺染について」より)

 宮沢賢治さんの青春時代は、ちょうど大正デモクラシーと呼ばれる頃でした。西洋から届いたあらゆること~それまで日本になかったもの、遠く海の向こうのもの~を積極的にとりいれ、日本中がにわかに活気づいた時代です。食べ物の世界では、主に肉食が推奨され、乳製品や紅茶やコーヒーも広まりはじめました。

 だからでしょうか、賢治さんの作品世界や自身のエピソードからも西洋料理の香りが漂ってきます。

 「注文の多い料理店」のレストラン山猫軒や、「紫紺染について」の盛岡の内丸精養軒は西洋料理店です。そこではなぜかおかしな「事件」がおこります。

 賢治さん自身は、花巻農業高校の教諭時代の頃、それまで約5年間(大正7年22歳の5月頃から?)続けていた菜食生活を中断したようです。そして農学校の生徒や12歳年下の友人・森荘已池氏を西洋料理店に誘って、ごちそうしています。

 出かけた先は、盛岡・新馬町にあった大洋軒、内丸の肉屋がやっている食堂、花巻の仲町にあった精養軒、岩手軽便鉄道花巻駅階上にあった精養軒の支店など。それぞれの場所で賢治さんは洋定食や牛丼、カレーライスなどをごちそうしていたようです。大正12年創業のそば店「やぶ屋」に友人と出かけるときは「ブッシュへ行こう」と声をかけ、天ぷらそばと一緒にサイダーを注文しました。

■畑の恵みを探しに 花巻の農の風景4 

賢治さんに想いを馳せながら、畑に会いに行きました

白金豚を味わう・レストラン「ポパイ」

 今回は「お店」に会いにいきました。昭和58年開店のレストランポパイ。花巻のブランドポーク・白金豚のアンテナショップです。

 「白金豚」の名前の由来は、賢治さんの作品「フランドン農学校の豚」。その冒頭で豚が大地の恵みを受けて上等な食肉を生み出す様を自然界における「触媒だ。白金と同じことなのだ」と感心する一節から。

 白金豚を育てるため、水は奥羽山脈の湧水を、飼料には花巻産のお米や国産のトウモロコシを取り入れるなど、花巻や岩手の大地の恵みを受けた食肉です。そして加工品のソーセージは二戸のドイツ仕込みの職人さんの手作り、スティックサラミには花巻市東和町の老舗醸造元「佐々長醸造」の赤みそを加えるなど、細部まで花巻のおいしさにこだわりをもってつくられています。

 そんな白金豚をポパイでは、ポークソテー、ベーコンステーキ、しょうが焼き、手作りハンバーグ、ソーセージ・・・など数々のお料理で味わえます。

 白金豚生産者の高源精麦株式会社の代表取締役の高橋誠さんからのおすすめの食べ方は「とにかく脂がおいしいので、かみしめてくださいね」。

 いただきます~ポークソテーもベーコンステーキも柔らかく、じゅわっと脂と肉汁が口の中にひろがりました。だけど口の周りが脂でぎとぎとにならないのです。ほんのり甘味を感じる脂は、かみしめるほどうまみになってのどの奥に消えていきました。なるほど「かみしめて」に納得。

◆レストラン「ポパイ」  

住所 岩手県花巻市若葉町3-11-17

電話 0198-23-4977

ホームページ http://popeye.meat.co.jp/

白金豚と相性がいいのは?

高橋さんから「白金豚には、酸味の効いたソースがあいますよ」と白金豚のポークソテーに添えられているバルサミコソースをすすめてくださいました。脂のうま味をひきだしてくれるソースでした。

■牛乳と賢治さん

 花巻の食料品のお店やスーパー、産直には、花巻をはじめ岩手産の牛乳、チーズ、ヨーグルトなどの乳製品や、乳製品を使ったスウィーツがたくさんありますね。私はいつもどれを食べようか楽しい悩みに心おどらせています。

 エピソードによれば、幼少時代の賢治さんは牛乳をのみたがらなかったそうです(関登久也『賢治随聞』)。

 牛乳屋から土鍋に一合とか二合とか分けてもらった牛乳を火にかけて沸かしそれを茶碗ついで飲んでいた家族たちにたいして、賢治さんは階段の中段に登ってなかなかおりて来なかった・・・らしいのです。

 当時、牛乳は大きなブリキ缶に入れて各家庭を訪問し、お客の容器に計り売りをするのが主な販売形態でした。東京で各家庭に配達されはじめたのは明治141881)年頃と言われ、岩手で牛乳を扱うようになったのは、最初は岩泉で明治19年頃からのようです(参考『岩手畜産戦後50年の歩み』『岩手近代百年史』)。

 私たちのくらしの中では、スーパーやコンビニにいけば簡単に手に入り、毎日の食卓であたり前にある牛乳や乳製品。

 一方、賢治さんの生きていた大正時代は牛乳や乳製品はまだまだ高価で、日常的な食材ではありませんでした。

 そんな違いを頭のすみにおいておくと、賢治さんの作品の中で牛乳や乳製品を見つけた時、物語世界の印象がちょっと変わってくるのです。

■「今日牛乳がぼくのところへ来なかったのですが」(「銀河鉄道の夜」より)

 賢治さんの作品には、牛乳(ミルク)をはじめ、バター、チーズ、アイスクリームなどの乳製品が、比喩も含めると結構登場します。それも日常生活のシーンによく使われているのです。それは牛乳が苦手だったとはいえ、賢治さんが子どものころから慣れ親しんでいた食べ物だったからこそでしょう。

 中でも「銀河鉄道の夜」は「乳の流れたあとだと云われたりしていたこのぼんやりと白いものが・・・」という一節から(これは天の川のことです)はじまります。そして主人公のジョバンニが銀河鉄道に乗り込むきっかけにつながる大切なシーンにも出てきます。

 レストランのテーブルの上に極上等のパンとバターが置かれているのは「紫紺染について」。ビジテリアン(ベジタリアン)たちが牛乳やチーズ、バターなどについて語っているのは「ビジテリアン大祭」。ちなみにこの作品では「バターやチーズも豆からこしらえたり」するのですが、おそらくこれは豆腐でしょう。詩作品の「三原 第二部」には「まるでチーズのように切れます」という比喩で登場します。

■畑の恵みを探しに 花巻の農の風景5

賢治さんに想いを馳せながら、畑に会いに行きました

できたてのモッツァレラチーズと畑のトマトでカプレーゼ。
ナイフも伊藤さん手作りです。

 

 大迫チーズ生産組合・組合長の伊藤行雄さんは、1974年から早池峰山の麓でチーズを作っています。1996年に岩手県食の匠、2015年に地域特産物マイスターに選ばれています。朝2時に近隣の牧場から届けられる牛乳からチーズができあがるまでの約10時間の作業は、すべて伊藤さんと息子さんお二人の手作業です。

 私が工房に到着したのは朝8時少し前。モッツァレラチーズ作りのため、大きなまな板2枚分ほどの重たいカードを小さなさいの目状に切る作業中でした。カードというのは牛乳をレンネットという酵素で固め、水分を抜いてつくる「チーズの素」です。おからを固めたみたいなカードを特別に味見させていただくと、もそもそで味がしません。

 さいの目に切ったカードを約70度の熱湯の中に放り込みます。「これだけ重装備でも指先は低温やけどするんですよ」。その両手は、軍手とゴム手袋の3重装備です。

 両手に全身の力を込めてカードを練り上げていきます。するとだんだんお餅のようにもちもちなめらかになって、湯気のなかからチーズがあらわれました。熱いそのかたまりを手早く同じ大きさにちぎって丸め、冷水で冷やします。全行程かなりの力仕事、そして無駄のない動きは熟練の作業です。

 「食べてみたいでしょ」と、できたてのモッツァレラチーズを試食させてくださいました。最初の一口はプリッとして、だんだん口の中でふわ~っとミルクの風味がひろがります。

 次に出てきたのは牛乳です。この日のチーズ作りで使った牛乳を少し残しておいてくださったのです。ブラウンスイス牛との混合牛乳は、伊藤さんのチーズに最適な配合なのだそうです。生クリームのように濃厚で、さらっとした軽い口当たり。さきほどチーズを一口いただいた時と同じです。あらためてチーズは牛乳のおいしさのかたまりなのだと実感しました。

 伊藤さんは「大迫でつくっていることがこだわり」といいます。そんなチーズは「早池峰醍醐」と名付けられています。そしてワインにはチーズがなくてはならないでしょう、と。大迫はブドウ栽培が盛んで、ワインの里でもあります。地産地消のチーズとワインのある大迫に乾杯!

できあがったチーズは水に放たれます。賢治さんの作品「ビジテリアン大祭」の「豆から作るチーズ」を思い出しました。目の前にあるのはその反対。まるで「牛乳から作る豆腐」。

伊藤さんおすすめの味わい方

和の食材とも相性がいいです。しょう油×オリーブオイル、わさびしょう油で一度味わって。寿司飯にのせて、バーナーで焼いたチーズ寿司もいけますよ。

◆大迫チーズ生産組合   

住所 岩手県花巻市大迫町内川目第18地割111-1

電話 0198-48-5078

 

■童話の中の肉食男子

 賢治さんの作品世界の登場人物で12位をあらそう食いしんぼうは「オツベルと象」のオツベルだろうと思います。この作品は大正151926)年に発表されました。

 オツベルは毎日お昼に「ビフテキだの、雑巾ほどあるオムレツの、ほくほくしたの」を食べています。 

 ビフテキはビーフステーキの略語です。西洋料理が入ってきた当時の高級料理(現在もですね)。六寸というのは約18センチ(一寸は約3.03センチ)。大きさだとすれば現在、私たちが目にするステーキとそれほどかわりませんね。でもこれが分厚さだったら??? そんな想像力をふくらませられるのも読書の楽しみです。

 オムレツは「雑巾ほど」の大きさ。これは両手をそろえてのせられるくらい? だったら卵78個は使った大判のオムレツでしょう。すいぶんふわふわしているでしょうね。

 そんなビフテキとオムレツを毎日食べているオツベルは、だから「大したもんだ」といわれるのです。そしてそんなお昼ごはんを毎日たいらげるために、のんのんのんのんと稲こき器械をふるわせて上手におなかをすかせています。

 毎日は結構だけど、一度くらいオツベルのお昼ごはんによばれてみたいと思うのは、私だけでしょうか?

 

■畑の恵みを探しに 花巻の農の風景6

賢治さんに想いを馳せながら、畑に会いに行きました

「賢治さんの「黒ぶどう」の作品はあまり知られていないから、もっと知られるといいなあ」と石森さん。そして販促ツールの「のぼり」をみせていただいたとき「このデザインいいでしょ!」とおっしゃった一言がとても印象に残りました。

 

 オツベルにもおすすめしたい「花巻黒ぶだう牛」。2012年に誕生した花巻のブランド牛です。花巻黒ぶだう牛には3つの基準があります。

1)花巻市内の肥育農家で育成された黒毛和種の牛肉であること

2)株式会社エーデルワインが製造した、ぶどうの搾りかす飼料を、肥育期間中に「日量300g以上、3カ月以上」給与したものであること

3)枝肉格付で3等級以上であること

 現在、花巻市内には8人の生産者がおられます。そのうちのお一人の石森祐悦さんの農場を訪ねました。

 「ぶどう」ではなく「ぶだう」と表しているのは、その名前が賢治さんの作品「黒ぶだう」が由来だから。「黒ぶだう」は賢治さん27歳の大正12(1923)年頃に清書されたのでは、といわれている未発表作品です。

 赤狐に誘われベチュラ公爵の別荘に入った仔牛は、書斎や衣装部屋をうろうろ。そして赤狐が見つけた立派な2房の黒ぶどうを一緒に食べます。

仔牛はコツコツコツコツと葡萄のたねをかみ砕いていました。

「うまいだろう。」狐はもう半ぶんばかり食っていました。

「うん、大へん、おいしいよ。」仔牛がコツコツ鳴らしながら答えました。

 そこに人間が階段を上がってきました。狐はさっと逃げ、仔牛は見つかってしまいます。けれども迷いこんで来たと思われた仔牛は、泊まりに来ていたヘルバ伯爵の2番目の娘に黄色いリボンを結んでもらうのでした。

 登場人物の名前や屋敷の様子からどこか異国の香りがして、仔牛のかわいい姿も目に浮かぶおはなしです。その舞台は、花巻市御田屋町の旧菊池捍(まもる)邸がモデルであろうといわれています 

 「花巻黒ぶだう牛」も、賢治さんの作品「黒ぶだう」の仔牛と同じくぶどうを食べています。だからこその命名だったのですね。そのお肉は脂がさらっとして食べやすいお肉です。

 ぶどうの搾りかす飼料は、ワイン作りのために搾ってすぐのものを脱気し、密封保存して農家へ出荷するそうです。

 石森さんにお願いして今回特別にそのぶどうの搾りかすを触らせてもらいました。

 手に取ると、かさっとした手触り。見た目は種がたくさん混じった大粒の干し葡萄でした。

 熟成したワインのような甘くふくよかな香りがしました。牛でなくてもおいしそうに感じるいい香りです。

 石森さんの農場では、搾りかすは朝夕の2回。飼料の上にばらばらとふりかけあげるそうです。今回、給餌の様子を特別に見せていただくと、あたりにワインのような甘い香りが拡がる中、牛たちはぼりぼりおいしそうにほおばっていました。まるで「黒ぶどう」のシーンです。

 ところでワイン作りと、黒ぶどう牛には大切な関係があります。

 搾りかすはワインを仕込む決まった時期にしか出ないということ。そしてワインを作る量しか搾りかすはできないということです。つまりその量で、肥育する頭数が決まってしまうのです。

 だから「花巻黒ぶだう牛」は生産量が少なく、なかなか手に入らない「幻のお肉」なのです。

 食べてみたい! という方は、花巻市内のレストランや宿泊先で一度おたずねください。また花巻市内で開催される農業祭や、おおはさまワインまつりなどの会場で出会えることもあります。「幻の」に出会えたら、ラッキーという機会を楽しんでみてくださいね。

 

◆花巻黒ぶだう牛研究会 事務局

花巻農業協同組合 畜産販売課

住所 岩手県花巻市野田316-1

電話 0198-23-3672

花巻農林振興センター

住所 岩手県花巻市花城町1-41

電話 0198-22-4931 

 

■第2回そろそろ閉店のお時間です

菊池邸正面写真

 賢治さんが盛岡高等農林学校で学んだカリキュラムの中に「農産製造学」があります。これは、農産物の保存、加工、食品生産等を学ぶものです。たび重なる飢饉で命にかかわる食料不足を経験した当時、特に東北では、食べ物の生産性をあげることに加え、加工する技術を学ぶことも大切でした。そんな当時の農産製造について書かれた本には、あらゆるものの加工方法が記されています。その中には乳製品や肉もあります。賢治さんが直接学んだ本に私はまだ巡り合えていませんが、農産製造の実習ではハムやソーセージの作り方を学ぶ機会もあっただろうと思われます。「フランドン農学校の豚」の作品世界や、「ポラーノの広場」に登場する産業組合が「ハムと皮類と酢酸とオートミール」を扱っているのも、賢治さんが生きた時代の背景と、学生時代に学んだ経験があったからこそではないかと思います。

 スプーンですくったスープや、ナイフやフォークでいただく洋食や、香ばしいパンやバターの香りに、これまで日本にはなかった何かを感じ取り、そこに作品世界に描く「イーハトーブ」の世界を重ねあわせ、味わった賢治さん。

 でもその一方で、そんな時代を味わったからこそ「自分の生まれ育って来た場所にこそあるもの」にも賢治さんは気付かされていったようなのですが・・・これについては別の回で。

レストランは第3回へとつづきます。またのご来店お待ち申し上げております。

 

 

※賢治作品の引用は『宮沢賢治全集 1~10』(ちくま文庫)に拠りました。ただし旧かなづかい等、一部改めて載せている点、ご了承ください。

私が書きました
中野由貴

花巻と宮沢賢治ファンの料理研究家
絵本・童話・食・宮沢賢治をテーマに創作、研究、執筆などを行っています。
著書に『宮澤賢治のレストラン』『宮澤賢治お菓子な国』(平凡社)、『にっぽんたねとりハンドブック』(共著・現代書館)ほか。
宮沢賢治学会会員、希望郷いわて文化大使。兵庫県在住。
花巻市民ではありませんが、イーハトーブ花巻出張所@兵庫(勝手に命名)から参加させていただきます。どうぞよろしくお願いします。