まきまき花巻味わいたい自分の居場所はぶどう畑にあった
自分の居場所はぶどう畑にあった
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 今年27歳となった鈴木寛太さんは東京大田区生まれ。地域おこし協力隊として3年前に花巻にやって来るまでは実家から離れたことがないという。そんな彼がどうして花巻へやってきたのだろうか。

 大学時代から震災ボランティアで何度か岩手を訪れていた彼が、大学を卒業して神奈川のIT企業に就職したのは2014年。しかしそこに自分の居場所を見出せず悩んでいた時に知ったのが花巻市の地域おこし協力隊募集だという。

「協力隊になれば、学生時代から震災ボランティア活動をきっかけに大好きになった岩手で働ける。ボランティア活動ではなく、自分で働いて、岩手に貢献出来る。という気持ちが勝り、20155月末に会社を辞めました」

 協力隊員としてのミッションは、大迫でのぶどう農家支援。まったく初めての見ず知らずの町で、彼の初めてのひとり暮らしがスタートしたのだった。それから3年。

「大迫町に暮らしてみて、人と人の距離が近い町と言う印象。その温かさにいつも助けられ、鈴木寛太を育ててもらっている町だと感じています。『かんたのためなら手伝うよ』と手を差し伸べて下さる方がたくさんいるからこそ今の自分は存在しているのだと思っていて、感謝の気持ちでいっぱいです。 他人だけど他人じゃない感じ。他人以上家族未満?という感じの繋がりが心地よいのかもしれません」

 温かい人々に囲まれ、チンドン屋早池峰一座でも存在感を発揮。大迫の町を歩くとあちこちから「カンタくん」と声がかかるぐらい町の人気者にもなった。

 3年の任期切れ後はどうするか。はじめ彼は東京との2拠点生活を考えていたようだ。しかし徐々に「自分はひとつの場所で地道に働かないと地に足がつかない」と思うようになってきたとのこと。そして任期切れ直前の今年5月から始めたのが、自ら行うぶどう栽培だった。今では自分が東京に行くのではなく、東京にいる人に花巻に来てもらい、どうしたら満足してもらえるか?ということを考えながら、しっかりと花巻大迫町を拠点に奮闘していこうと考えているとのこと。

 生食用のキャンベルと、ワイン用のロースラーを作った初年度は何もかもが手探り。それでも初めての収穫体験は格別なものがあったに違いない。特製ハサミを手に畑にでている彼の顔は陽に輝いて見えた。「来年はもっと美味しいぶどう作ります」と笑う寛太スマイルは人を惹きつける。

「とにかく出来ること、出来そうかなということはとことん挑戦するということを今でも意識しています。失敗を恐れずに突き進み『ダメならダメで引き下がればいい』これは大学時代の恩師が大学1年生だった私にくれた言葉でした。今もこの言葉を大事にしています」

 マスコミからも注目度が高いカンタくんの更なるチャレンジに今後も期待したい。

私が書きました
北山 公路

出版プロデュース、企画・編集のフリーランス。
花巻に生まれ育ち、今も花巻在住。東京の出版社の仕事と地元の仕事半々を花巻でこなす。2017年春から「花巻まち散歩マガジン Machicoco」を創刊し、隔月発行継続中。