まきまき花巻行きたい「石っこ賢さん」と名物館長と仲間たち/大迫と東山の文化施設
「石っこ賢さん」と名物館長と仲間たち/大迫と東山の文化施設
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早池峰と賢治の展示館(花巻・大迫)石と賢治のミュ―ジアム(一関・東山)
宮沢賢治は花巻市大迫(おおはさま)町に22歳、東山町に35歳の時に訪れています。短い滞在期間ですが、ひとあじ違った賢治の”自然・石・仕事”の世界と親しみのある文化施設があります。名物館長や仲間の方からお話伺いました。

 

①早池峰(はやちね)と賢治の展示館(花巻市大迫町)

早池峰と賢治の展示館。左は大迫交流活性化センター

 

大迫は、城下町盛岡と沿岸の釜石を結ぶ宿場町。
賢治は1918年(大正7年)に、稗貫郡役所から土性調査を依頼されて大迫に訪れました。
もともとは花巻市花城町にあった、童話「猫の事務所」のモデルではないかと言われている「旧稗貫郡役所」を移築した建物が、現在の「早池峰と賢治の展示館」です。
玄関に入るとすぐ右側が「町民室」(館長の研究室?)があります。
版画や鉱石の展示のほか、賢治の常宿旅館を復元した部屋、童話「風の又三郎」を彷彿とさせる教室もあり、賢治の世界観を感じられます。

 

 

 

「フィ―ルドワークで体感」浅沼利一郎館長

早池峰山を活動的に歩きまわる浅沼さん

大迫は、80年前の映画「風の又三郎」のロケ地だった!?

浅沼さんは、「早池峰賢治の会」の会長でもあり、フィ―ルドワークにより、賢治が描いた風景を体感するという他にはない活動を続けています。「後継者に続けてほしい」と話されています。
「奥羽山脈や北上山地とも誕生の経緯が異なる早池峰山は、珍しい鉱物や高山植物の宝庫です。」
「1940年(昭和15年)、風の又三郎の映画のロケ地は大迫だったと言われています。映画会社から撮影の御礼状が、当時届いているんです。」と説明してくれました。
「”農民”と”百姓”は全く意味が違います」など、我々現代人が知らない深い話もありました。現代と賢治の時代を行ったり来たりしているような館長でした。

 

浅沼館長の弟子?の「賢治文庫」管理人 

2021年(令和3年)6月16日、IBCテレビ「わが町バンザイ」花巻市大迫の回に出演された“賢治愛ハンパない”移住女子の塩野さん。
大迫の自宅開放をしている「賢治文庫」を番組で紹介されました。早池峰賢治の会の会員でもあります。

わが町バンザイ「旅アルバム」

「図書館が居場所」だったという塩野さん。賢治の作品にはまり、花巻の図書館で賢治関連の本にたくさん出会ったそうです。埼玉県から花巻市に移住して約3年。地域との交流を広げ、花巻市地域おこし協力隊で「まきまき花巻」の編集・執筆などの活動しています。「賢治文庫の本は寄贈されたものが多いです。」と賢治さん談義が続き、いつの間にか「居場所」・サードプレイスになってしまいました。

賢治の本が好きな親子も訪問

※塩野さんの「賢治文庫」は、土・日曜日の開放で、事前予約により訪問が可能だそうです。
賢治文庫ホームページ

 

研究生だった24歳の賢治は、大迫での土性調査に没頭しながら、父親との宗教上の対立が始まり、苦悩の青春の時期だったようです。早池峰山を気に入って何度か登山や野宿をして、人生最後の登山も早池峰山と言われています。
大迫町で、自然や賢治の世界に静かに思いを馳せてはいかがでしょうか?

 

「早池峰と賢治」の展示館
岩手県花巻市大迫町大迫第3地割161
電話 0198-48-2070(FAX兼用)
開館時間 9時~16時30分
休館日 12月29日~1月4日
バス停「大迫仲町」徒歩1分

 

石と賢治のミュ―ジアム(一関・東山)

セールスエンジニア宮沢賢治の情熱と友情。「石のまち」の博物館。

石と賢治のミュージアム・太陽と風の家

花巻では、「石っこ賢さん」宮沢賢治の晩年の工場技師時代についてはあまり知られていません。
”石のまち”一関・東山の「石と賢治のミュージアム」には、技術者賢治としての生き様や友情・男気(おとこぎ)が凝縮されています。「宮沢賢治作品を読む会」の方や館長にもお話伺いました。

 

 県民・市民に親しまれている博物館

旧・東山町は1994年(平成6年)に旧東北砕石工場が町に寄贈されたのを契機に翌年、賢治精神の継承発展の誓い「グスコーブドリの町」宣言をしました。
「農民救済」と「みんなの幸せ」を願う技師宮沢賢治と工場主鈴木東蔵の生き方と精神を子供たちに語り継ぎたいという願いから、1999年(平成11年)に「太陽と風の施設」が旧工場の敷地内にオープンしました。
珍しい鉱物や賢治関連の資料の展示のほか、文庫(図書室)、親子教室やミニコンサート、ワークショップや遊び場もあります。主な施設は、太陽と風の家(博物館、ホール、展示室)・双思堂文庫・旧東北砕石工場です。  

 

館長に親切に案内していただきました。

発信力がある菅原館長

「来てよかった、と言われるミュージアムに」と語る菅原淳館長。
ミュージアム主催の「雨ニモマケズ朗読会㏌ひがしやま」では、自ら朗読を披露して会場を和やかな雰囲気にしてくれる館長です。facebookなどで積極的に情報発信や交流を広げています。

菅原さんは、化学技術系の会社でエンジニアを務めた後、「館長公募」により2017年(平成2年)に館長に就任しました。展示会やイベントなど様々な企画をしています。
賢治さんの魅力を尋ねたら、「私も賢治さんの作品の良さはまだよくわかりません。賢治さんに関係する方々のお話をしながら学んでいます。」
「石を見るだけで、その石がどの国にあるかや、時代がわかるという研究者もいるんですよ」と珍しい石の解説をしてもらいました。菅原館長の笑顔が館内や職員の方の明るさを引き出しています。

 

 宮沢賢治作品を読む会

輪読を楽しんで交流。アットホームな文学の世界

館内の図書室「双思堂文庫」で、2008年(平成20年)9月から、月1回第4土曜日に開催されています。
「雨ニモマケズ」の詩の原点となる東山に”読む会”が発足してから10年過ぎました。
奥州市在住の会員の方は「地元の市でも、賢治を読む会を立ち上げたい」と熱意を語っていました。

 

ミュージアムを訪ねよう

旧・東北砕石工場
1924年(大正13年)~1978年(昭和53年)
地元の石灰岩を粉砕して肥料をつくる工場として操業。1994年に東山町に寄贈されました。

《かんたん解説》
●鈴木東蔵  石灰工業近代化の先駆者
1891年(明治24年)~1961年(昭和36年)
ただの石ころだった石灰岩を東山の石灰産業発展の資源にした人です。「農業救済」「理想郷の創造」「文化的改造」を信条としました。1924(大正13年)に東北砕石工場を操業します。生涯石と関わり続け「石のまち」東山発展の土台を築き上げました。夢大きく、誠実と人情のひと。

●工場主・鈴木東蔵と「肥料の神様」宮沢賢治の出会いと友情
肺の病いで花巻で自宅療養していた宮沢賢治は、訪ねてきた工場経営者の鈴木東蔵と話がはずみ、すぐにこの人が好きになりました。「工場を手伝いたい」と決意をして、35歳のとき工場技師になり、東京出張にと奔走しました。人間賢治の生き方や仕事ぶりに工員たちからの信頼は厚かったようです。

●「雨ニモマケズ」手帳の物語
賢治が東京出張先で病に倒れた後、1931年(昭和6年)11月3日に病床で書いたと言われています。賢治のセールスマン活動そのものが「雨ニモマケズ」を表しています。「グスコーブドリの伝記」は自分の理想的生き方をブドリに託して、同時期に書いた作品だそうです。賢治は出張先で倒れて再び療養生活を送り37歳で亡くなります。

 

耐震補強工事が完了した旧東北砕石工場

賢治と砕石工場の人々の像。工場のそばにいました。

35歳の賢治の東山時代は、病い、失敗、苦悩の日々だったという印象があるようです。しかし、工場を支えたいと思う責任感や仕事に熱中する賢治の男気ややりがいが見えてきます。鈴木東蔵との友情や、工場の人々から信頼と尊敬を受けていて、企業人として幸せな時期だったと感じました。
一世紀前の産業や庶民の生活に触れ、賢治ファンが気楽に立ち寄るような手作り感や親しみのある博物館です。 ひとあじ違う賢治さんと出会ってみてはいかがでしょう。

 

石と賢治のミュージアム

岩手県一関市東山町松川字滝ノ沢149-1
電話 0191-47-3655
FAX 0191-47-3944
開館時間 9時~17時
休館日 月曜、祝日の翌日
JR陸中松川駅から徒歩5分

 

県内外から賢治ファンのリピーターが訪れる2つの施設
個性的で魅力ある館長さん達から、楽しい“ためになる”話を伺いました。
石っこ賢さんや自然を大切にする思い入れが詰まっていて、歴史と現在の架け橋になる場所です。
ぜひ訪れてみて、ワクワクする発見をしてください。

私が書きました
白岩拓樹

花巻へ移住してもうすぐ20年。注文のないマッサージ師です。新しい図書館市民会議の広報部長。韓国語万年初級者。花巻の現代史や隠れた名物、花巻を知るいろんな方の生の声を聴いてみたいです。