まきまき花巻行きたい開町400年 大迫の街道を歩いてみた
開町400年 大迫の街道を歩いてみた
24 まき
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中世から町場が栄え、今は花巻総合文化財センターも建つ、歴史の香る町、大迫町。 現在の街並みが整えられたのは、1617年(江戸時代)。開町400年を祝う記念事業として、7月30日に大名行列が行われるとのこと。ワクワクしながら出かけました。

南部利直はもっと先をめざした

戦国の世が終わり、大迫氏の治めていた領地は、南部領となりました。
南部利直公は、中世以来の町場(九日町地区)を通る遠野街道が、起伏が多く曲がりくねっているのを不便に感じ、改善を思い立ちます。
そこで、地元の大富豪・大信田源右衛門らの力を借りて、中居川沿いにドーンとまっすぐな道を通し、そこに上・中・下町の三町を作り、宿場町大迫を誕生させました。
大迫は、盛岡城下から遠野・釜石へ行き来する役人や人馬のための宿泊地として、おおいに栄えたのでした。

▲赤い線が昔からの旧街道、黄色い線が利直公の通した「新・遠野街道」。

中世と変わらぬ山並みに思いをはせながら

利直公の偉業を実感するため、まずは旧道を体験してみようと、イベントのチラシを参考に旧道ルートを歩いてみました。

▲下町(盛岡からの入口)を左折。旧道当時、画像にみられる右へ通じる道はありません。

140mほどでクランクを右に折れます。いまは直線道路の閑静な住宅地になっていますが、ここは「九日町」と呼ばれ、中世の町場でした。

▲鉄塔の立つ山の後ろに尾根を見せている山が、中世の領主・大迫氏の山城です。

十字路に差し掛かったところで、大迫のメインストリートに戻るため、右折します。 ここは旧町場の中心地。「屋敷遺跡」として発掘調査も行われ、中世の建物や陶磁器のかけらなどが出土しました。

▲ちなみに、右折せずに直進すると、稗貫川(岳川)をさかのぼる道が続き、南部藩主も大切にしていた岳妙泉寺(現・岳早池峰神社)に通じます。

稗貫川(岳川)にかかる柳橋に出ました。かつての旧道はここを渡った後、坂や山林をぬけて遠野方面に向かっていたと思われます。

▲橋の飾りに土器のモチーフ。この一帯はかつての縄文集落で、いまも発掘調査が続いています。狩猟・採集の縄文時代、川と林に恵まれたここは太古も優良物件なのでした。

藩主利直公とともに、新・遠野街道を歩く

さて、いよいよ大名行列の始まりです。今回の行列は、1617年、利直公が盛岡から宮守村へ鹿狩りに向かう途中、当時の町の長の家に滞在した時の道中を再現したもの。スタートの下町から、ゴールの大迫交流活性化センターまでじっくり随行しました。

▲下町に入る手前の金毘羅神社。味のある扁額。

行列は、大償(おおつぐない)神楽の太鼓と権現様に導かれてゆっくりと進みます。
下町の旧道入口を通り過ぎ、新・奥州街道へと直進して千貫橋(現・新大橋)を渡ります。
街道沿いに残る歴史的な建物が、昔の雰囲気を盛り上げます。

▲趣のある村喜本店。白壁に老松が映えます。

▲昔の辻の風情を醸し出す仲町の標柱。

いま見ても見ごたえのある入宿行列ですから、当時の大迫の人々の興奮は計り知れません。
開通後、初めて通った利直公や大信田源右衛門たちも、さぞや感無量だったことでしょう。

▲辻は今、仲町交差点になっています。道路標示板もない昔は、宿場に着いた安堵感も、きっとひとしお。

▲上町にある愛宕神社。ここが宿場町の東端。

大迫は盛岡から歩くこと約30km。翌日は宮守村の狩場まで、約20kmの道のりでした。
大迫でのお泊りで、家来たちも十分英気を養えたことでしょう。

今回の行列は、大迫町の方々が地域の力を集めて作り上げました。行列の人員構成や衣装・持ち物など、事前の考証や制作にも丁寧さがうかがえ、本番ではそれらが、山々や街道の景観と相まって、江戸時代の泰平な空気感を存分に堪能させてくれました。
参加した方々の、日々暮らす町への深い愛着と、奥ゆかしい誇りが伝わってくるひとときでした。

▲向山の山頂にそびえる巨大な権現様。現代の大名行列を見守っていました。

私が書きました
ごんだゆう

仙台出身,花巻市在住。史跡巡り愛好家を自称するも,花巻エリアはまだまだ知らないことばかり。休日には新しい驚きを求めて,歴史探訪に出かけています。